秋田駐屯地の軽油
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
文明崩壊後の世界を90式戦車に乗って見に行こう
本文
国道7号線と県道26号線の交差点で、シオナは一度速度を落とした。
まっすぐ進めば、市役所と県庁方面。
曲がって国道7号線をたどり、四ツ屋街道へ入れば秋田駐屯地方面。
ミズホは地図を見たまま言った。
「中心部へ入るより、まず駐屯地だと思う」
サヤも外を見ながらうなずいた。
「市役所の方、車が多そう。奥に入る感じがする」
シオナは前を見た。
「駐屯地へ行こう。秋田の中を調べるのは、秋田の人たちとつながってから」
90式はゆっくりと曲がった。
シオナは相変わらず30km/hを超えない。
雪は止んでいるが、路肩には積雪が残り、ところどころ凍ったように光る場所もある。市街地に近づくほど放置車両は増えたが、完全に道が塞がっているわけではなかった。
何より、ところどころに人の手が入っていた。
車が端へ寄せられている。
交差点の雪が押しのけられている。
簡易の案内板が置かれている。
「人がいる」
サヤが短く言った。
ミズホはノートに書き込む。
「秋田市南部から駐屯地方面、除雪・整理痕跡あり」
やがて、駐屯地へ向かう道の先に、警戒線のように車両とバリケードが見えてきた。
シオナは十分手前で90式を止めた。
急に近づかない。
相手に判断する時間を与える。
サヤが外を確認する。
「人影あり。二人、こっち見てる。武器は構えてないけど、かなり警戒してる」
シオナはエンジンをアイドリングに落とした。
「ここで待つ」
ミズホがうなずく。
「降りるなら、私たちだけで。車両は動かさない」
三人は外へ出た。
シオナは両手を見える位置にして、数歩だけ前へ進んだ。
「こんにちは。神町駐屯地の方と連絡を取りながら、南から来ました。自衛官ではありません」
相手側の一人が、しばらくこちらを見ていた。
「神町?」
声には驚きが混じっていた。
ミズホが答えた。
「はい。神町駐屯地、舟形、新庄、庄内、にかほ、西目を経由して来ました。にかほでは、由利本荘市役所と秋田地本の方々の巡回班にも会っています」
その言葉で、空気が少し変わった。
もう一人の隊員が駐屯地内へ連絡を入れる。
しばらくして、警戒線の奥から数人が出てきた。階級章や装備までは三人にはすぐ分からなかったが、中心にいる年配の上位らしい男が、慎重に近づいてきた。
彼は90式を見てから、シオナたちを見た。
「その90式は?」
シオナは正直に答えた。
「東京で放置されていたのを見つけてから、移動手段として使っています。砲弾は積んでいません。戦うためには使っていません」
曹長は少しだけ目を細めた。
「……なるほど。見れば分かる。撃ちに来た車両ではないな」
サヤが小さく息を吐いた。
曹長は続けた。
「神町の誰と話した」
ミズホはすぐに記録袋からメモを取り出した。
「神町駐屯地では司令部要員の方々と、整備では葛西曹長という方に見ていただきました。舟形若あゆ温泉清流センターの共同体とも連絡をつないでいます」
「葛西曹長か」
その名前に、秋田側の隊員の一人が反応した。
「神町の整備の?」
「はい」
シオナはうなずいた。
「90式の外部ラック補強、濡れ物箱の取り付け、冬道仕様の確認もしてもらいました」
曹長は90式をもう一度見た。
「それでここまで来たのか」
「はい」
しばらく沈黙があった。
それは疑いというより、呆れに近い沈黙だった。
だが、その奥には少しだけ感心も混じっていた。
「分かった。中へ入ってもらう。ただし車両は誘導に従って、指定場所へ。神町や山形県方面の情報も聞きたい」
シオナは頭を下げた。
「ありがとうございます」
曹長は短くうなずいた。
「ようこそ秋田駐屯地へ。よく来た」
その一言で、三人の肩から少し力が抜けた。
90式は駐屯地内の指定された広い場所へ誘導された。
完全に平時の駐屯地ではなかった。
使われている建物は限られ、車両も整理されている。雪かきされた通路だけが動線になっており、他の場所には雪が残っている。
それでも、人がいた。
炊事の匂い。
発電機の音。
除雪道具を持った隊員。
通信のために出入りする者。
行政関係者らしい腕章をつけた人。
神町とはまた違う。
秋田駐屯地は、傷ついた都市の中で、細く踏みとどまっている拠点だった。
三人は庁舎の一室へ案内され、そこでこれまでの経緯を説明した。
東京から始まり千葉、茨城、栃木、福島、神町、舟形、新庄、庄内、酒田、にかほ、西目。
どこに人がいて、どこで電気が残り、どこで無線が届かず、どこで雪に止められたか。
ミズホが記録を見ながら話し、サヤが現地の様子を補足し、シオナが90式の運用と道路状況を説明した。
秋田側の幹部は黙って聞いていた。
「神町が生きているのは大きい」
一人が言った。
「舟形、庄内、にかほまで線がつながったなら、南側の状況がかなり見えてくる」
別の隊員が地図に印を入れていく。
「問題は北だ。能代、大館、青森方面」
シオナはその地図を見た。
旅は、まだ終わっていない。
話が一段落した後、90式は整備区画へ移された。
秋田駐屯地の整備隊員たちは、車体を見てすぐに作業に入るのではなく、まずシオナに尋ねた。
「ここまで、燃料はどうしていた?」
シオナは少し緊張した。
「ガソリンスタンドや施設で、残っている軽油を確認して使ってきました。神町でも教わりましたが、冬なので号種には気をつけるようにと」
整備隊員はうなずいた。
「その理解でいい。ただ、少し補足しておく」
彼は燃料缶を指しながら言った。
「冬の軽油には号種がある。寒い場所では、低温で固まりにくいものが必要になる。3号軽油なら寒冷地向けとして安心できる場面は多い」
シオナは真剣に聞いていた。
「やっぱり、絶対に3号軽油じゃないと駄目ですか」
整備隊員は首を振った。
「絶対、という言い方はしない方がいい。気温、保管状態、燃料の劣化具合、車両側の状態、走る距離。全部で変わる。2号でも動く時は動くし、3号でも状態が悪ければ駄目だ」
サヤが横から聞いた。
「号種だけ見れば安心、ってわけじゃないんですね」
「そう。番号だけで信じない。特に今は、いつ入れられた燃料か分からない。水が混じっているかもしれない。劣化しているかもしれない。タンクの底に何が溜まっているかも分からない」
ミズホがノートに書き始める。
「確認すべき点は?」
整備隊員は、シオナにも見えるように容器を持った。
「まず見た目。濁りがないか。変な浮遊物がないか。水が分離していないか。次に匂い。明らかにおかしい匂いがしないか。触るなら慎重に、質感。妙に粘る、ざらつく、変な沈殿がある。そういう時は使わない方がいい」
シオナは頷いた。
「今までも一応見ていました。でも、そこまで細かくは……」
「ここまで来られたなら、運も判断も悪くなかったんだろう。だが北へ行くなら、さらに気をつけることになる」
整備隊員は車体を軽く叩いた。
「この車両は強い。だが、強い車両ほど、燃料が悪いと厄介だ。動かなくなったら人力ではどうにもならない」
その言葉は重かった。
90式は頼もしい。
でも、止まったらただの巨大な鉄の塊になる。
シオナははっきりとその現実を感じた。
「これからは、給油前に必ず確認します。色、濁り、匂い、水の分離、沈殿、質感。可能なら少し取ってから」
「そうだ。あと、古いスタンドならタンクの底から無理に吸い上げない。欲張らない。残っている燃料全部を取ろうとしないこと」
「底に水や汚れがあるからですか」
「そう。最後の方ほど危ないことがある」
ミズホが書き留めた。
「燃料は全部取らない。底を狙わない」
サヤが小さく言った。
「食べ物と一緒で、残ってるからって全部いっちゃ駄目なんだね」
整備隊員は少し笑った。
「まあ、近いな。腹を壊す燃料もある」
シオナは真剣な顔のまま言った。
「神町では、燃料の管理と積み方を教わりました。ここでは、燃料そのものの見方を教わった気がします」
整備隊員はうなずいた。
「北へ行くなら必要になる。秋田から先は、補給できる場所があっても、質は毎回違うと思え」
「はい」
シオナは短く答えた。
その返事は、神町を出た頃より少しだけ強くなっていた。
整備区画を出る頃、サヤはシオナの横に並んだ。
「また覚えること増えたね」
「うん」
「燃料の色とか匂いとか、私も見るよ」
シオナはサヤを見た。
「助かる」
ミズホもノートを閉じながら言った。
「私は記録と比較をする。どこで入れた燃料か、状態はどうだったか。後で不調が出た時に追えるように」
「三人で燃料係?」
サヤが言う。
シオナは少し笑った。
「三人で一両分だから」
サヤも笑った。
「出た」
秋田駐屯地の整備区画の向こうで、90式が静かに置かれている。
砲弾はない。砲塔上の機銃もない。
その代わり、外部ラック、濡れ物箱、防寒装備、整備教本、記録袋、士気袋がある。
戦うためではなく、進むための90式。
秋田駐屯地で、シオナはまた一つ、その面倒の見方を覚えた。
燃料は、ただ入れるものではない。
見て、疑って、選ぶものだ。
北へ向かう道は、まだ長い。
能代、大館、そして青森。
でも、秋田まで来たことで、線は確かにつながった。
そしてシオナたちは、少しずつ旅人ではなく、90式とともに北をつなぐ者になっていった。
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