八郎潟の内側を抜けて
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
文明崩壊後の世界を90式戦車に乗って見に行こう
本文
翌朝も、秋田の空は崩れなかった。
雪は残っている。
けれど降ってはいない。風も弱く、雲の切れ間から薄い光が差していた。
秋田駐屯地の整備区画では、出発前の90式が静かに待っていた。前日までの雪は落とされている。外部ラック、濡れ物箱、砲口カバー、ハッチ周り。秋田の整備隊員たちが、神町で施された冬道仕様を確認し、必要な締め直しと簡単な点検をしてくれていた。
そして燃料も入った。
シオナは給油作業を見守りながら、整備隊員の言葉を思い出していた。
号種だけで信じない。
濁りを見る。
匂いを見る。
水の分離を見る。
底まで欲張らない。
今回は駐屯地の管理燃料だった。状態は良く、補給後の記録も残された。
「満タンです」
整備隊員が言った。
「ありがとうございます」
シオナは深く頭を下げた。
「北へ行くなら、燃料は余裕があるうちに入れてください。能代までは行けるでしょうが、その先は分かりません」
ミズホはノートに補給量と燃料状態を書き込んだ。
サヤは90式の車体を見上げて言った。
「満タンって聞くと、ちょっと強くなった気がするね」
「強くなったわけじゃない」
ミズホが返す。
「でも、安心は増えた」
シオナはうなずいた。
「安心は増えた。でも油断はしない」
秋田側でも、この日は男鹿方面への巡回予定があった。
男鹿半島にある秋田石油備蓄基地の状況を確認するため、駐屯地と行政、港湾、電力関係者の混成車両が出るという。シオナたちが北へ向かう経路と途中まで重なるため、道路状況を見ながら先行してくれることになった。
秋田側の隊員が地図を指した。
「こちらは男鹿方面へ向かいます。あなたたちは国道7号線を北上。男鹿半島IC付近までは、こちらの車両が先に道路状況を見ます。そこから先は八郎潟の内側を通る形になります」
ミズホが地図を見ながらうなずく。
「海沿いを直接行くより、風の影響は少なそうですね」
「ええ。昨日までのような海風は避けられます。ただし、橋や開けた場所、凍結には注意してください」
シオナは短く答えた。
「30km以上は出しません」
秋田側の隊員は少しだけ笑った。
「それでいいです。むしろ、それを守れる人の方が信用できます」
出発前、食堂で簡単な朝食をとった。
米飯、味噌汁、漬物、少しの煮物。昨夜より静かな食卓だったが、三人には十分だった。
サヤは茶碗を置いて言った。
「秋田のご飯、覚えておく」
市職員の女性が笑った。
「次に来る時は、もう少し落ち着いているといいですね」
「その時は、普通におかわりしたいです」
ミズホが横から言う。
「今もしてたでしょ」
「今のは必要補給」
「便利な言葉」
シオナはそのやり取りを聞きながら、少しだけ笑った。
そして三人は、秋田駐屯地を出発した。
90式は駐屯地をゆっくり離れた。
秋田側の先行車両は、一定の距離を保って前を進む。無理に連なりすぎない。互いに止まれる距離を置く。途中、路面状況や放置車両の位置を無線で伝えてくれる。
シオナは慎重に操縦した。
国道へ戻り、北へ向かう。
昨日までの日本海側の吹雪とは違い、この日の道は落ち着いていた。雪は路肩に残っているが、視界はある。車道の中央はところどころ黒く見え、凍っていそうな場所では速度をさらに落とした。
サヤは車長ハッチ側で外を確認していた。
「前方、道は見えてる。路肩に雪。右側、放置車両一台、でも通れる」
ミズホは地図と秋田側からもらったメモを照らし合わせる。
「このまま北上。男鹿半島ICまでは秋田側の巡回と同じ方向」
秋田駐屯地の隊員から無線が入った。
「この先、右側に車が寄っています。大型ではありません。速度を落とせば通れます」
ミズホが返す。
「ありがとうございます。こちらも確認しました」
シオナは速度を落とした。
「通過する」
90式は雪の残る道を重く進んだ。
秋田市の中心部へ深入りすることなく、北へ抜ける。昨日の判断は正しかった。都市の中に入れば、まだいくつもの確認すべきものがある。けれど、それは秋田の人たちと駐屯地側が進める仕事だ。
三人の役割は、北へ線を伸ばすことだった。
男鹿半島IC付近まで来ると、秋田側の先行車両が一度停車した。ここから先、彼らは男鹿方面へ向かう。
四輪駆動車から降りた隊員が、シオナたちの90式のそばへ来た。
「ここまでは問題なし。能代方面へは、この先しばらく道は比較的開けています。ただ、八郎潟の内側は風が弱い分、雪が吹き溜まっている場所もあるかもしれません」
シオナはうなずいた。
「注意して進みます」
「能代市内に入ったら、まず大型店やホテルのある場所を探すのがいいでしょう。市役所や中心部に入るより、国道沿いの施設の方が退避しやすい」
ミズホが記録する。
「大型店、ホテルを優先」
サヤが隊員に言った。
「そちらも男鹿、気をつけてください」
隊員は軽くうなずいた。
「ええ。石油備蓄基地がどうなっているかで、秋田側の今後もかなり変わります」
シオナはその言葉を重く受け止めた。
燃料。
それはもう、単なる補給品ではなかった。人が動き、電気を守り、暖を取り、道路を開くための血液だった。
秋田側の車両は男鹿方面へ向かっていった。
三人の90式は、能代へ向けて北上を続けた。
八郎潟の内側を通る道は、海沿いとは違っていた。
風が弱い。
視界が急に白く消えるような感じは少ない。
空は暗めだが、雪は降っていない。
広い田畑、雪をかぶった平地、遠くの低い建物。
日本海の荒れた空気から少し離れたことで、三人の緊張もわずかに緩んだ。
サヤが外を見ながら言った。
「昨日までと全然違う。風がないだけで、こんなに楽なんだ」
ミズホが答える。
「海風を避けられるルートって大事なんだね」
シオナは前を見たまま言った。
「でも、楽だと思った時ほど慎重に行く」
「はい、シオナ教官」
「教官じゃない」
サヤは少し笑った。
シオナの運転は変わらなかった。
直線でも30km/hを超えない。橋や交差点ではさらに落とす。道が開けていても、雪の下に何があるか分からないからだ。
途中、何度か停車して確認した。
履帯周り。
外部ラック。
濡れ物箱。
燃料漏れ。
異音。
ハッチ周り。
教本を読んでから、シオナの点検は少しだけ変わった。以前は「大丈夫そうか」を見ていた。今は「どこが大丈夫なら進めるか」を見ている。
ミズホはそれを見て言った。
「点検、手順が決まってきたね」
「まだ見落としはあると思う」
「でも、前よりずっといい」
サヤも濡れ物箱の蓋を確認しながら言った。
「私もラックの緩みなら前より分かる」
ミズホがうなずく。
「私は燃料と記録。三人で分担できてきた」
シオナは短く笑った。
「三人で一両分」
それはもう冗談ではなくなっていた。
昼を過ぎる頃に、能代市へ近づいた。
建物が増え、道路沿いに大型店舗の看板が見え始める。
雪に埋もれた駐車場。
閉まったスーパー。
ドラッグストア。
ホテル。
飲食店。
ロードサイドの広い敷地。
ミズホが地図を見て言った。
「ここ、補給と宿泊に良さそう。大型スーパー、ドラッグストア、ホテルが近い」
サヤは外を確認した。
「駐車場も広い。放置車両はあるけど、90式を停める余裕はある。人影は見えない」
シオナは速度を落とし、広い駐車場の端へ90式を入れた。
「今日はここを確認しよう」
午前中のうちに秋田から能代まで来られた。
だが、さらに先へ進むには情報が足りない。
三人は車両を停め、周囲を確認した。
まずホテル。
建物は無事。窓も大きく壊れていない。電気は不安定だが、一部の照明は点く。水も細く出る。宿泊はできそうだった。
次にドラッグストア。
店内は荒れている場所もあったが、奥の棚にはまだ使えるものが残っていた。
包帯。
消毒液。
使い捨てカイロ。
マスク。
衛生用品。
乾電池。
少量の栄養補助食品。
ミズホは慎重に状態を見ながら、必要分だけを選んだ。
「全部は持たない。必要なものだけ」
サヤはカイロを見つけて目を輝かせた。
「これは宝」
「本当に宝」
シオナも同意した。
大型スーパーでは、保存性のあるものを探した。
米や生鮮品は状態の悪いものも多い。だが缶詰、乾麺、調味料、未開封の飲料、袋入りの食品は一部使えた。
サヤは棚を見ながら言った。
「こういう場所、昔ならただの買い物だったのにね」
ミズホは賞味期限と包装状態を確認しながら答えた。
「今は調査と補給」
シオナはカートに載せる量を見て言った。
「積みすぎない。外部ラックの重量も見て」
「分かってる」
サヤは少しだけ名残惜しそうに棚を見た。
「でも、このチョコは士気袋行きでしょ」
ミズホは包装を確認した。
「未開封、状態よし。少量なら」
「やった」
「少量」
「分かってる」
補給の後、三人はホテルへ入った。
低い階の部屋を選び、90式が見える側を確保する。
荷物を広げすぎず、すぐ動けるようにまとめる。濡れたもの、乾いたもの、医療品、食料、記録袋、士気袋。手順はもう決まっていた。
夕方、三人は部屋のテーブルに地図を広げた。
能代から先。
ここで、大きな分かれ道になる。
サヤが地図を指した。
「米代川を渡って、このまま沿岸に出る道?」
ミズホがうなずく。
「能代から北へ、沿岸側を進めば日本海側をたどって青森方面へ近づける。ただ、海沿いは天候が変わりやすい。にかほで痛いほど分かった」
シオナは別の線を見た。
「大館へ出て、そこから弘前方面へ向かうルートもある」
「内陸寄り?」
「うん。海風は避けやすいかもしれない。ただし山や峠、積雪、道路状況が問題になる」
サヤは腕を組んだ。
「海沿いは吹雪が怖い。内陸は山が怖い。どっちも怖い」
ミズホは冷静に言った。
「どっちも正しい」
シオナは地図から目を離さなかった。
「沿岸に行けば、港や海沿いの共同体に会えるかもしれない。能代港や八森、深浦方面。ただ、天気が荒れたら止まる場所を探し続けることになる」
ミズホが続ける。
「大館へ向かえば、内陸の市街地とつながる可能性がある。弘前方面へ出られれば、青森内陸との接点になる。でも山越えがある」
サヤは少し黙ってから言った。
「大湊に向かうなら、最終的には青森のどこかへ出ないといけないんだよね」
「うん」
シオナは答えた。
「大湊に向かうなら、弘前から北へ抜けて青森市側に出るか、日本海沿岸を回るか。どっちかを決める必要がある」
ミズホはノートを開いた。
「明日はまず、能代で情報を探そう。市役所や港方面にすぐ入るかは別として、道の駅や公共施設、道路の掲示、誰かの記録が残っているかもしれない」
シオナはうなずいた。
「今日決め切らない。秋田でもそうした。ここでも、能代の情報を見てから」
サヤはベッドに腰かけ、少しだけ笑った。
「前なら、行けそうな方へ行ってたかもね」
「今は行けそうだけじゃ行かない」
シオナは地図を見たまま言った。
「行ったあとに止まれるか。戻れるか。誰かにつながるか。それを見て決める」
ミズホは小さくうなずいた。
「それがいい」
外は静かだった。
にかほの吹雪とは違う。
西目の足止めとも違う。
能代の夜は、雪の気配を残しながらも、どこか広く静かだった。
ホテルの部屋で、三人は地図を囲んだ。
米代川を渡って沿岸へ出るか。
大館へ向かい、弘前を目指すか。
北へ行く道は一本ではない。
けれど、どの道を選んでも、もう勢いだけでは進まない。
三人と90式は、止まることも、待つことも、聞くことも覚えていた。
作品統計
📚 本を探すなら「よみどき」(あいぺんが運営する本の発見サイト)
130万冊を超えるコミック・小説・書籍の順位と値段を毎日みて、いま読むものを決められます。