雪ちらつく7号線
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
文明崩壊後の世界を90式戦車に乗って見に行こう
本文
翌朝の能代は、薄く雪が舞っていた。
吹雪ではない。
風もない。
ただ、空から細かな雪が静かに落ちてくるだけだった。
ホテルの窓からそれを見たサヤは、少し首をかしげた。
「これは……行ける雪?」
ミズホは窓の外と地図を交互に見た。
「風がない。視界もある。路面確認をしながらなら、問題ないと思う」
シオナはすでに出発準備を始めていた。
「まず道の駅ふたついまで。そこで大館方面の道路状況を見て、進むか決める」
「まずふたつい」
サヤが昨日の言葉を繰り返した。
「うん。まずふたつい」
三人は簡単な朝食を済ませ、ホテルの低い階から荷物を運び出した。前日に補給した食料と医療品、カイロ、乾いた手袋を確認する。能代の大型スーパーとドラッグストアで得たものは、外部ラックと車内の収納に分けて積み直してあった。
90式は駐車場の端で、うっすら白くなっていた。
シオナは車体の前に立ち、息を吐いた。白い息がすぐに消える。
「除雪、軽めで済みそう」
サヤがブラシを手に取る。
「昨日よりずっと楽」
ミズホは濡れ物箱の蓋を確認した。
「蓋、凍りつきなし。外部ラックも見た感じ大丈夫」
シオナは教本で覚えた順に確認していく。
ハッチ周り。
視界装置。
砲口カバー。
外部ラック。
濡れ物箱。
履帯周り。
燃料漏れ。
異音の有無。
秋田駐屯地で満タンにしてもらった燃料は、ここまで問題なく使えている。けれど、シオナはもう「入っているから大丈夫」とは考えなかった。
見る。
聞く。
疑う。
それから進む。
点検を終えると、三人は90式に乗り込んだ。
シオナは操縦席で前方を確認した。
「出発する」
90式は、雪のちらつく能代をゆっくり離れた。
国道7号線は、静かだった。
路肩には雪が残っている。
田畑も屋根も白い。
けれど、風がないだけで道の印象はまったく違った。
日本海側の吹雪のように、突然視界を奪われる感じはない。空は暗いが、遠くの道路標識も、前方のカーブも見える。
シオナは30km/hを超えなかった。
見通しの良い場所でも、速度を抑える。
橋の手前ではさらに落とす。
交差点や放置車両のそばでは、サヤの確認を待つ。
サヤは車長ハッチ側で短く外を見ていた。
「前方、車両なし。路肩に雪。右側、建物あり。道は通れる」
ミズホは地図を見ながら答える。
「このまま東へ。道の駅ふたついまで、距離は長くない」
サヤが外を見たまま言った。
「昨日、沿岸に行かないって決めておいてよかった気がする」
「どうして?」
ミズホが聞く。
「この雪でも、ここはなんか落ち着いてる。海沿いだったら、今ごろまた白い壁が来るんじゃないかってずっと構えてたと思う」
シオナは前を見たまま、少しだけうなずいた。
「私もそう思う」
海沿いを避けた。
それは怖がったからではない。
ここまでの旅で、何が危ないかを知ったからだった。
しばらく走ると、道の駅ふたついの案内が見えてきた。
広い敷地。
雪をかぶった建物。
駐車場には数台の車が残っていたが、出入りできる余地はあった。
シオナは駐車場の端に90式を停めた。
「停止。確認する」
三人は外へ出た。
雪はまだちらついているが、作業を妨げるほどではない。息は白く、手袋越しでも冷たさは伝わってくるが、にかほや西目のような暴力的な雪ではなかった。
道の駅の建物は閉まっていた。
だが、入口付近には最近誰かが出入りしたような跡があった。雪の上にうっすら残った足跡。扉の脇に置かれた簡単な木札。中に入ると、壁に手書きの道路情報が貼られていた。
ミズホがすぐに近づく。
「道路状況……」
そこには、日付こそ曖昧だが、比較的新しい文字でこう書かれていた。
能代方面、通行可。
大館方面、国道7号線は一部凍結あり。大型車通行注意。
二ツ井より東、放置車両は路肩へ移動済み。
鷹巣方面、除雪痕跡あり。
大館市中心部、到達可能。
ただし夕方以降の移動は避けること。
サヤは声を落とした。
「大館まで、つながってる」
シオナはその文字をじっと見た。
大館市中心部、到達可能。
ただの道路情報だった。
けれど今の三人には、地図の上の線が現実につながったように見えた。
ミズホはノートに写し取った。
「この情報がいつのものかは分からない。でも足跡と掲示の状態を見る限り、かなり古いものではなさそう」
シオナは窓の外を見た。
雪は弱い。
風もない。
時刻はまだ昼前。
「大館まで行けると思う」
サヤが確認するように聞いた。
「今日中に?」
「うん。ここからなら、夕方までには中心部へ入れる」
ミズホは地図を確認した。
「途中で鷹巣方面を通る。大きく寄り道しなければ行ける。ただし、暗くなる前に到着すること。途中で雪が強くなったら止まる」
シオナはうなずいた。
「そこは変えない。行けるところまでじゃなくて、止まれるところまで進む」
サヤは少し笑った。
「それ、今の私たちの標語だね」
道の駅で、三人は少し休憩を取った。
温かい飲み物を作り、手袋を乾いたものへ替え、90式のハッチ周りと履帯を確認する。外部ラックの固定も問題ない。濡れ物箱も凍っていない。
ミズホは道の駅の掲示板に、自分たちの情報を残した。
能代方面より到着。
秋田駐屯地、にかほ、庄内、神町方面の生存確認あり。
90式で大館方面へ向かいます。
沿岸101号線は現時点で選択せず、国道7号線を使用。
サヤがそれを見て言った。
「誰かが読むかな」
ミズホはペンをしまいながら答えた。
「読むかもしれない。読まなくても、ここに情報が増える」
シオナは道の駅の外で、東へ伸びる国道を見た。
「行こう」
三人は再び90式へ乗り込んだ。
道の駅ふたついを出てから、国道7号線は少しずつ内陸の表情を強めた。
海の気配は薄れ、雪をかぶった山並みや川、集落が見える。道幅は十分にあり、ところどころに除雪された跡が残っていた。
誰かが通っている。
誰かが道を守ろうとしている。
それだけで、シオナの手元は少しだけ落ち着いた。
サヤが外を確認する。
「左側、放置車両一台。でも路肩に寄せられてる。通れる」
ミズホが言う。
「掲示の通りだね。大館方面、完全に放棄されてはいない」
シオナは速度を落としてその車両の横を通過した。
「誰が寄せたんだろう」
サヤが呟く。
ミズホは窓のない車内で地図を見ながら答えた。
「地元の人か、道路管理の残った人か、自衛隊か。分からないけど、少なくともこの道を使おうとしてる人がいる」
それは大きかった。
旅を続けていると、無人の建物や止まった信号、閉じた店舗ばかりを見る。けれど、路肩へ寄せられた車両や、雪の上に残る作業跡は違う。
そこには、人の意思があった。
昼を過ぎても、雪はちらつく程度だった。
三人は途中で一度停車し、簡単な食事と点検をした。秋田で満タンにした燃料にはまだ余裕がある。能代で補給した食料もある。医療品も整理済み。ワークマン由来の防寒具と、能代で追加したカイロが頼もしかった。
サヤはカイロを手袋の中で軽く握りながら言った。
「カイロ、偉い」
ミズホが答える。
「今日は本当に偉い」
「ミズホが認めた」
「寒い時の熱源は全部偉い」
シオナは外部ラックを確認しながら少し笑った。
「じゃあ90式も偉いね」
サヤは車体をぽんと叩いた。
「かなり偉い」
その後も、90式はゆっくり東へ進んだ。
鷹巣方面を抜け、大館へ近づくにつれ、建物が増えていく。道路沿いの店舗、住宅、公共施設の案内。雪に埋もれた看板。止まった信号。
しかし、ここにも人の手の跡があった。
交差点の雪が寄せられている。
道路脇に簡易の案内板がある。
一部の建物の前には、最近使われたような足跡が残っている。
ミズホがノートに書いた。
「大館市域接近。道路整理痕跡あり。生活痕跡あり」
サヤは外を見ながら言った。
「完全に無人じゃないね」
「うん」
シオナは速度をさらに落とした。
「中心部に入る前に、止まれる場所を探す」
夕方が近づいていた。
空は暗くなり始めているが、まだ視界はある。
大館市中心部の標識が見えた時、三人はしばらく黙った。
能代からここまで、今日は進めた。
にかほや西目で何度も止められた日本海側の雪とは違い、国道7号線は三人を大館まで通してくれた。
サヤが小さく言った。
「大館まで来たんだ」
ミズホは地図を閉じた。
「夕方前。予定通り」
シオナは前方の市街地を見た。
「ここからはまた別。市街地だから、慎重に行く」
90式は大館市中心部へ、ゆっくりと入っていった。
雪はまだ、ほんの少しだけ舞っている。
けれど風はなく、道は見えている。
まずは中心部にたどり着く。
そのあと、どこに人がいるのか、どこで泊まれるのか、どの道が弘前へつながるのかを探す。
その時、サヤが前方の案内板を見て、少し首を傾げた。
「ねえ、秋田犬って書いてある」
ミズホが地図から顔を上げた。
「大館は秋田犬で有名だから」
「へえ……」
シオナはその言葉を聞きながら、まだ何も言わなかった。
ただ、胸の奥で、遠い東京の風景が一瞬だけ揺れた。
草に覆われた渋谷。
動物たちに囲まれたハチ公像。
ツタに包まれ、森の守り神のように立っていた犬の姿。
まだそれが何につながるのか、シオナ自身にも分からなかった。
90式は夕方の大館市街を、ゆっくり進んでいった。
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