毛布の中の作戦会議
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
文明崩壊後の世界を90式戦車に乗って見に行こう
本文
シオナは、毛布に包まれたまま畳の上に座っていた。
大浴場から戻ってきた直後は、まだ少し頬に赤みが残っていた。温泉の湯が体の奥まで入って、雪で冷えた指先もようやく戻ってきている。
それでもミズホは油断しなかった。
「もう少しそのまま」
「もう温まったよ」
「だめ。さっき外で雪まみれになってた人の発言は信用しない」
サヤが押し入れからもう一枚毛布を出しながら笑った。
「信用失ってるねえ、シオナ」
「ちょっと払っただけだったんだけど」
「ちょっとであれだけ白くなれるの才能だよ」
シオナは言い返そうとしたが、湯上がりの体に毛布の重みが心地よすぎて、言葉が途中で消えた。
畳の上には、布団が一組だけ先に敷かれている。
ミズホがそれを指さした。
「横になって」
「まだ昼過ぎだよ」
「昼過ぎでも横になる。明日は峠越え」
その言葉に、シオナは少しだけ黙った。
矢立峠。
碇ヶ関。
大鰐。
その先の弘前。
地図の線は頭に残っている。
けれど今は、湯気の余韻と暖房の効いた和室の空気が、思考をゆっくりほどいていった。
シオナは素直に布団へ入った。
サヤが毛布を肩までかける。
「はい、シオナ包み完成」
「だから包まなくていいって」
「完成したからもう遅い」
ミズホは毛布の端を整えながら言った。
「寒気がしたらすぐ言って。あと、もう今日は雪に触れない」
「触れない」
「雪の温冷浴も」
「しない」
「約束」
「約束」
シオナは目を閉じずに答えたつもりだった。
だが、次の瞬間には、まぶたが重くなっていた。
畳の匂い。
暖房の低い音。
外の雪が窓に当たるかすかな気配。
サヤとミズホが小声で何かを話している声。
その全部が、遠くなっていく。
サヤが覗き込んだ。
「寝た?」
ミズホはシオナの顔を見て、少しだけ声を落とした。
「寝たね」
「早っ」
「冷えたあとに温泉入って、暖房の部屋で毛布に包まれたらこうなるよ」
サヤは笑いをこらえながら、座卓へ戻った。
「じゃあ、起こさない方がいいね」
「うん。夕飯まで寝かせよう」
ミズホはランタンの位置を少しずらし、座卓の上に地図を広げた。
矢立ハイツの和室は、昼間なのに夕方のように静かだった。
窓の外では雪が降り続いている。けれど部屋の中は暖かい。
シオナは毛布に包まれたまま、深く眠っていた。
サヤはその寝顔をちらっと見た。
「シオナって、寝てると普通に女の子だね」
ミズホが地図から顔を上げずに言う。
「起きてても普通に女の子だけど」
「いや、そうなんだけどさ。普段が90式の操縦席にいすぎるから」
「戦車成分が強い」
「そうそう」
ミズホは少しだけ笑って、地図の上に指を置いた。
「で、その戦車成分の人が寝てる間に、明日の道を考える」
サヤは座卓に肘をつき、地図を覗き込んだ。
「明日は矢立峠を越えて碇ヶ関。そこから大鰐だよね」
「そこまでは、巡回班の人たちも細くつながってるって言ってた。問題はその先」
ミズホの指が、国道7号線をなぞる。
「大鰐からこのまま7号線沿いに進むと、弘前市街の方へ近づく」
サヤの表情が少し曇った。
「弘前は連絡取れてないんだよね」
「うん。終末前後にパニックがあって、警察と自衛隊も出た。そこで感染が広がったらしいって話だった」
「助けようとした人たちから、広がっちゃったんだ」
「そういうこともある」
ミズホの声は静かだった。
病院にいた頃のことが、少しだけ混じっている声だった。
サヤはそれに気づいたが、何も言わず地図へ視線を戻した。
「じゃあ、弘前市街は避けたいよね」
「避けたい」
ミズホは大鰐のあたりを指さした。
「ここに大鰐インターがある。ここから東北自動車道に入れば、弘前市街を避けるルートに見える」
サヤは少し身を乗り出した。
「高速に乗るってこと?」
「候補としては」
「高速って、普通なら走りやすいんじゃない?」
「普通ならね。でも今は違う」
ミズホは地図から顔を上げた。
「高速道路は、逃げ場が少ない。入口が塞がっていたら入れない。本線で事故車が詰まっていたら、90式でも簡単には避けられない。高架や橋の上で止まったら、周りに逃げる場所も少ない。除雪されている保証もない」
サヤは地図を見つめた。
「広い道なのに、逃げ場が少ないんだよね」
「そう。広いから安全とは限らない」
「普通の道なら、コンビニとか道の駅とか、集落とか、止まれる場所がある」
「うん。国道は危ない場所もあるけど、途中で人に会える可能性もある。高速は、そこが弱い」
サヤは唇を結んだ。
「じゃあ、7号線で弘前を外から見る?」
「それも危ない。弘前市街の外縁に近づくことになるから、放置車両や感染跡、避難所跡が多いかもしれない。市街に吸い込まれたら厄介」
二人は黙った。
座卓の上で、地図だけが妙に現実味を持っていた。
紙の上では、道はただの線だ。
けれどその線の上には、雪があり、車があり、橋があり、トンネルがあり、人のいた跡がある。
サヤは小さく言った。
「どっちも怖いね」
「うん」
「シオナならどう言うかな」
ミズホは寝ているシオナを見た。
毛布に包まれたシオナは、まったく起きる気配がない。
普段ならすぐに地図を覗き込んできそうなのに、今は呼吸がゆっくりしている。
「たぶん、ここでは決めないって言う」
サヤは少し笑った。
「言いそう」
ミズホは大鰐のところに指を置いた。
「明日はまず碇ヶ関。状況がよければ大鰐まで。そこで地元の人に聞く。高速が使えるか。国道7号線はどこまで安全か。弘前市街を避ける道があるか」
「大鰐で決める」
「うん。矢立で全部決めるには、情報が足りない」
サヤは大きく息を吐いた。
「昔なら、高速が早そうだから高速ってなってたかも」
「今は早い道より、止まれる道」
「シオナ語録だ」
「もう三人の語録でいいと思う」
サヤは地図の余白に指で小さく線を描くようにして言った。
「大鰐まで行って、聞いて、それから決める。弘前には勢いで入らない」
「そう」
「大湊って、まだ遠いね」
ミズホはうなずいた。
「でも、青森側に人がいることは分かった。碇ヶ関と大鰐まではつながってる。それは大きい」
「うん」
サヤはふと、眠っているシオナを見た。
「シオナ、起きたらまた地図見るかな」
「見ると思う」
「寝かせておいた方がいいのに」
「見ると思う」
「だよね」
二人は小さく笑った。
外の雪は、少し弱くなっていた。
昼過ぎの時間が、ゆっくり流れていく。
サヤは地図を畳まずに、座卓の上へ広げたままにした。
ミズホはノートに今日の結論を書いた。
明日、矢立峠を越える。
第一目標、碇ヶ関。
可能なら大鰐まで。
弘前市街へは即時進入しない。
大鰐で、高速道路と国道7号線の状況を確認してから判断。
書き終えると、ミズホはペンを置いた。
「これでいいと思う」
サヤはうなずいた。
「シオナが起きたら、これ見せよう」
「うん」
シオナは、まだ眠っていた。
毛布に包まれ、布団の中で小さく息をしている。
雪を払いに行った時の冷えも、温泉で温まった反動も、ここまでの疲れも、全部が眠りに変わっているようだった。
サヤはそっと声を落とした。
「起こさないでおこう」
ミズホもうなずく。
「夕飯まで」
窓の外では、矢立峠へ続く国道が白く霞んでいた。
明日、その道を越える。
でも今は、まだ昼過ぎ。
進む前に、眠れる人は眠る。
考えられる人が考える。
温まれる時に、温まる。
三人の旅は、そうやって少しずつ北へ近づいていた。
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