大鰐で決める道
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
文明崩壊後の世界を90式戦車に乗って見に行こう
本文
シオナが目を覚ました時、部屋の中は夕方の色になっていた。
障子越しの光は薄く、窓の外ではまだ雪が舞っている。けれど昼過ぎに比べれば降り方は弱くなっていた。畳の上には暖房のぬくもりが残り、乾かしていた上着や手袋からは少しずつ湿気が抜けている。
シオナは毛布の中でまばたきをした。
「……今、何時」
座卓で地図を見ていたサヤが顔を上げた。
「おはよう、シオナ包み」
「まだ包まれてたんだ」
ミズホがノートを閉じる。
「夕飯前。よく寝てたよ」
シオナは少し起き上がろうとして、毛布に絡まった。
「ごめん。寝すぎた」
「寝すぎじゃない」
ミズホがすぐに言った。
「雪で冷えたあとだったし、明日は峠越え。寝られる時に寝るのは正しい」
サヤがうなずく。
「そうそう。こっちは地図見てたから大丈夫」
シオナは毛布を肩から外し、座卓に広げられた地図を見た。矢立峠、碇ヶ関、大鰐、弘前。線が引かれ、ミズホの小さな字でメモが書き込まれている。
「もうそこまで考えてくれてたんだ」
「だいたいね。でも最終決定は三人で」
サヤがそう言うと、シオナは軽くうなずいた。
「その前に、夕飯作らなきゃ」
「まだ寝起きだよ?」
「寝たから動ける」
ミズホが少しだけ目を細める。
「無理はしない」
「しない。座ってるだけだと、逆にぼんやりするから」
そう言って、シオナはゆっくり立ち上がった。足元はまだ少しふわつくが、体は温まっている。冷えは抜けていた。
三人は部屋の端にまとめていた食料を出した。
能代で補給した乾麺。
秋田駐屯地でもらった少量の味噌。
大館で見つけた缶詰。
道中で大事にしていた乾燥野菜。
シオナは小さな鍋を出し、カセットコンロで湯を沸かした。矢立ハイツの部屋は暖房が効いているが、それでも山の宿の夜は冷える。鍋から湯気が立つだけで、部屋の空気が少しやわらかくなった。
サヤは缶詰を開けながら言った。
「シオナの料理って、なんか戦車運転と似てるよね」
「どういう意味?」
「ゆっくり、確実、余計なことしない」
ミズホが乾燥野菜を戻しながら言う。
「褒めてるようにも聞こえる」
「褒めてるよ。たぶん」
シオナは少し笑って、鍋に乾麺を入れた。
「たぶんなんだ」
「だって、料理で30km以上出さないって言ってるみたいな感じだから」
「鍋で30km出したら事故だよ」
その返しに、サヤが吹き出した。
ミズホも小さく笑った。
こういう会話があるだけで、部屋の中は少し明るくなる。
外は雪。明日は県境。弘前は不明。青森市は厳しいかもしれない。大湊まではまだ遠い。
それでも今は、三人で夕飯を作っている。
鍋には味噌の香りが広がった。乾麺と野菜、缶詰の具を入れた簡単なものだったが、湯気と塩気と温かさがあれば十分だった。
食事は座卓を囲んで取った。
サヤは椀を両手で持ち、深く息を吐いた。
「あったまる」
ミズホもうなずく。
「昼の温泉、夕方の鍋。今日は体を戻す日だったね」
シオナは少し申し訳なさそうに言った。
「昼、寝ちゃったけど」
「寝るのも仕事」
ミズホが言った。
「特に明日みたいな日は」
食後、三人は改めて地図を広げた。
今度はシオナも座卓に加わった。
サヤとミズホが昼の間に考えていたことを説明する。
ミズホはまず矢立峠を指した。
「明日の第一目標は、道の駅いかりがせき。巡回班の話では、碇ヶ関には人が残っている。大館側とも細く交流がある」
シオナは頷く。
「まず峠を越えて、道の駅いかりがせき。そこで止まる」
サヤが続けた。
「その後、大鰐まではつながってるらしい。だから天気と道路がよければ、大鰐まで進んでいいと思う」
「大鰐で止まって、弘前のことを調べる」
シオナは地図上の大鰐に目を落とした。
「大鰐インターから東北自動車道に入れば、弘前市街を避ける道に見える。でも、高速は逃げ場が少ない」
ミズホがうなずく。
「そう。だから大鰐で役場を訪ねる。役場機能が残っているなら、弘前方面の情報を持っている可能性がある。道路、避難所、感染状況、高速の状態」
サヤは地図に肘をつかないよう気をつけながら言った。
「役場が駄目でも、温泉施設とか道の駅とか、残ってる人の連絡所があるかもしれない」
「うん」
ミズホはノートを開いた。
「大鰐で聞くことは、三つ」
そして紙に書いた。
弘前市街へ入らず北へ抜ける道があるか。
東北自動車道の大鰐弘前インター周辺と本線の状況。
弘前外縁、青森市方面、大湊方面への情報。
サヤがそれを見て言った。
「弘前そのものを見に行くんじゃなくて、弘前をどう避けるかを聞く感じだね」
シオナは少し考えた。
「避けるというより、入っていい場所かどうかを決めるために聞く。危ないなら避ける。人がいて案内があるなら外縁だけ見る」
ミズホは頷いた。
「勢いで市街には入らない。これは絶対」
サヤが小さく手を上げた。
「異議なし」
シオナも言った。
「異議なし」
少しだけ、三人は笑った。
だが地図の上の弘前市街は、やはり重かった。
終末前後に軽いパニック。
警察と自衛隊が出動。
その結果、感染が広がった可能性。
その後、碇ヶ関や大鰐から確実な連絡が取れていない。
それは、東京や水戸で見たものと同じ匂いがした。人が集まり、助けようとした場所ほど危なくなる。悪意ではない。混乱と善意と恐怖が、同じ場所に集まってしまう。
シオナは静かに言った。
「弘前に人が残っているなら、助けたい。でも、私たちだけで中に入っても、何もできないかもしれない」
サヤはうつむき気味に頷いた。
「助けに行って、こっちが動けなくなったら終わりだもんね」
ミズホは地図を見たまま答える。
「そう。私たちは医療班でも救助隊でもない。90式で道をつなぐことはできるけど、街全体をどうにかすることはできない」
シオナはその言葉を受け止めた。
以前なら、少し胸が痛んだかもしれない。
今も痛まないわけではない。
けれど、旅を続けるうちに分かってきた。
行ける場所に全部行くことはできない。
見えるもの全部を助けることもできない。
だからこそ、次につなげる道を選ばないといけない。
「明日は、まず碇ヶ関」
シオナはそう言った。
「道の駅いかりがせきで状況確認。青森側の人と会えたら、情報交換。天気と道路がよければ大鰐まで。そこで役場か、役場機能を移した場所を探す」
ミズホがノートに書き込む。
「大鰐で弘前方面の情報を得てから、国道7号線か東北自動車道かを判断」
サヤが付け加えた。
「あと、無理なら大鰐で泊まる」
シオナは頷いた。
「うん。大鰐まで行けても、その先に無理して進まない」
ミズホが顔を上げる。
「明日の条件。風が強ければ峠越えしない。視界が悪ければ待つ。碇ヶ関で天気が崩れたらそこまで。大鰐へ進むのは、昼前後までに判断」
サヤは指折り数える。
「雪、風、視界、時間、道路、人の情報」
「あと90式の状態」
シオナが言った。
「朝に除雪と点検。峠を越えたらまた確認。ブレーキ、履帯、ハッチ周り、外部ラック、濡れ物箱」
サヤが笑った。
「濡れ物箱、もう完全に旅の仲間だね」
「役に立ってる」
ミズホが真面目に言った。
「濡れた手袋や長靴を車内に入れなくて済むのは大きい」
シオナは部屋の端で乾いている手袋と長靴を見た。
「神町で付けてもらってよかった」
神町。
秋田。
能代。
大館。
矢立。
ここまで、いろいろな場所で少しずつ90式は旅の車両になっていった。戦うためではなく、走るため。つなぐため。止まるため。
サヤは最後に、地図の大湊の方を見た。
「まだ遠いなあ」
ミズホが言う。
「でも、昨日より近い」
シオナも地図を見た。
「明日、県境を越える。そこから先は青森」
外の雪は、少し弱まっていた。
矢立ハイツの和室には、食後の湯気の余韻と、乾きかけの服の匂いと、地図の紙の匂いが混ざっている。
旅館の部屋というより、三人だけの小さな司令部のようだった。
サヤが地図を丁寧に畳みながら言った。
「じゃあ決まり。明日は道の駅いかりがせき」
ミズホが続ける。
「その後、大鰐で役場を訪ねる」
シオナは布団の方を見た。
「そして今日は、もう雪に触らない」
サヤがすかさず言った。
「お、えらい」
ミズホも頷く。
「その約束は守って」
「守る」
シオナは少し笑った。
昼に眠ったせいで、夜すぐ眠れるかは分からない。
けれど体はもう冷えていない。腹も満ちている。明日の道も、少しだけ形になった。
三人はそれぞれ寝支度を始めた。
外では県境の雪が、夜の中へ静かに降っている。
その向こうには碇ヶ関がある。大鰐がある。そして、まだ連絡の取れない弘前がある。
明日、三人は青森へ入る。
ただし、勢いではなく、聞きながら。
止まりながら。
選びながら。
いつものように、30km/h以下で。
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