つがる温泉の灯
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
文明崩壊後の世界を90式戦車に乗って見に行こう
本文
大鰐町地域交流センターでの昼食と情報交換を終えたあと、三人は再び90式に乗り込んだ。
弘前市街には入らない。
国道7号線をそのまま北上せず、途中で国道102号線へ振る。
道の駅いなかだてを確認地点にし、そこから県道13号線で浪岡方面へ抜ける。
大鰐の自衛隊側も、その案を否定しなかった。
ただし、条件付きだった。
「田んぼの中の道は甘く見ないでください」
現場指揮官はそう言った。
「市街地を避けるにはいい道です。ですが、風が出ると路肩も用水路も分からなくなる。90式なら雪は踏めるでしょうが、道路そのものを外したら厄介です」
シオナはその言葉を頭に入れていた。
90式は大鰐を出て、国道7号線に戻り弘前市街地の外縁部で国道102号線へ入った。
最初のうちは、道は穏やかだった。
雪は舞っているが、風はまだ弱い。弘前市街へ向かう重い空気から少し離れたことで、サヤも少し息をついた。
「市街を避けられてるって思うだけで、ちょっと楽だね」
ミズホは地図を見ながら答えた。
「でも、この先は田園地帯。風が強くなると別の怖さがある」
「街は人で詰まる。田んぼは雪で道が消える」
「そういうこと」
シオナは前方を見たまま言った。
「どこも簡単じゃないね」
それでも、しばらくは進めた。
黒石方面へ向かう道。
雪をかぶった家々。
遠くに見える田んぼ。
閉まった店舗。
除雪された跡のある交差点。
道の先に、弘前市街の混乱は見えない。
だが、見えないから安全というわけでもなかった。
次第に風が出てきた。
最初は、雪が横に流れる程度だった。
だが、広い場所へ出るにつれて、白い粒が道路の上を走るようになった。路肩の境目がぼやけ、遠くの建物も薄い白に滲んでいく。
サヤがハッチから外を確認して、すぐに戻った。
「風、出てきた。見えるけど、さっきより白い」
ミズホが地図を見る。
「道の駅いなかだてまでは、まだ少しある」
シオナは速度を落とした。
「無理しない」
「どうする?」
サヤが聞く。
「止まれる場所を探す」
その判断は早かった。
道の駅いなかだてまで行けるかもしれない。
だが、行けるかもしれないで進まない。ここまで何度も学んだことだった。
しばらく進むと、道路沿いに温泉施設の看板が見えた。
つがる温泉。
宿泊施設もあるらしい。
建物は雪の向こうに見える。駐車場も広い。
シオナはすぐに判断した。
「今日はここに入る」
サヤは少しほっとしたように言った。
「賛成」
ミズホも頷いた。
「道の駅まで押さない方がいい。風が強くなってる」
90式は、つがる温泉の駐車場へゆっくり入った。
駐車場は完全には埋もれていなかった。
車の出入りがあったような跡が残っている。古いものも、新しいものも混じっているように見えた。
建物の前に人影はない。
エンジンを止めると、風の音が急に大きく感じられた。
三人は防寒を整え、最低限の荷物を持って建物へ向かった。
玄関は閉まっていたが、鍵はかかっていなかった。
中に入ると、館内は薄暗い。電気は来ていない。だが、完全に放置された匂いではなかった。
床は比較的きれいだった。
入口付近には雪の跡があり、まだ乾ききっていない。
受付の横には、手書きの紙が貼られていた。
大浴場利用時の注意。
湯船の温度確認。
蛇口使用後は閉めること。
燃料・水の無駄遣い禁止。
入浴後は浴場入口の札を戻すこと。
使える部屋は二階の一部。
ストーブ使用時は換気確認。
サヤが紙を読んで、声を落とした。
「人、いるんじゃない?」
ミズホは床の跡を見た。
「少なくとも、今日の昼間には誰かが使ってる」
シオナは館内を見回した。
「でも今はいない」
「避難所っていうより、共同で使う場所なのかも」
ミズホが言った。
「必要な時に来て、風呂に入って、暖を取って、帰る。常駐はしていない」
三人は大浴場を確認した。
脱衣所には人の気配が残っていた。
湿ったタオルの跡。
桶の位置。
使われた形の椅子。
そして湯船には、まだ湯が残っていた。
完全に冷めてはいない。
湯気は弱いが、手を入れると温かさがある。
サヤの顔が少し明るくなった。
「入れる」
ミズホは注意書きを確認する。
「使い方も書いてある。無理に新しく沸かすより、今ある湯を使わせてもらう方がよさそう」
シオナは頷いた。
「先に部屋を決めよう。荷物を置いて、暖を取る」
二階の一部屋が使えるようになっていた。
和室ではないが、宿泊用の部屋だった。
布団があり、毛布があり、窓も無事。部屋の隅にはストーブが置かれていた。燃料も少し残っている。
ミズホは説明書きを見つけた。
「換気して使えば大丈夫そう。長時間つけっぱなしにはしない」
サヤは窓の外を見た。
「外、白くなってきた」
風雪はさっきより強くなっている。
道路はまだ見えるが、遠くの景色はかなり白く霞んでいた。
シオナは窓から90式を確認した。
駐車場の端に停めた車体は、もう薄く雪をかぶり始めている。
「ここで止まって正解だった」
ミズホは静かに答えた。
「うん。道の駅まで行けたかもしれないけど、行かなくてよかった」
サヤは荷物を置き、ストーブのそばに手をかざした。
「今日の目標は、無事に止まることだったってことだね」
「そう」
シオナは短く言った。
三人は濡れた上着と手袋を確認し、部屋の中に広げて乾かした。濡れ物箱に入れていたものも必要分だけ取り出す。ストーブの火が入ると、部屋の空気は少しずつやわらかくなった。
夕食は手持ちの食料で済ませた。
パックご飯。
缶詰。
味噌汁。
大鰐で分けてもらった漬物。
温かい茶。
サヤは椀を持って、壁の注意書きを眺めた。
「ここ、誰が管理してるんだろうね」
ミズホは答えた。
「田舎館村の人か、黒石方面の人か、周辺の集落の人か。少なくとも、使うルールを残している人がいる」
シオナは頷いた。
「人がいなくても、使い方が残ってる」
「それも人の気配だね」
サヤが言った。
夕食の後、三人は大浴場に向かった。
館内は暗い。
ライトを持って廊下を歩く。
風の音が建物の外で鳴っている。温泉施設の中にいるのに、外の雪がすぐそばにあるようだった。
大浴場の湯は、少しぬるくなっていたが、体を温めるには十分だった。
三人は注意書きの通り、無駄に水を使わず、湯の温度を確認してから入った。
サヤは湯船に浸かりながら息を吐いた。
「今日は本当に、温泉に助けられてる」
ミズホが答える。
「この辺りの人も、そうやって使ってるんだと思う」
シオナは湯面を見つめた。
「弘前を避けて、ここに来た。街を避けたら田んぼの雪に止められた」
サヤが少し苦笑する。
「どこも一筋縄じゃないね」
「でも、止まれる場所があった」
ミズホは静かに言った。
「それが大事」
風呂から上がると、三人は丁寧に後始末をした。
桶を戻し、蛇口を確認し、入口の札を戻す。
誰かが書いた使い方を、次の誰かのために守る。
それは小さなことだった。
だが、終末後の世界では、そういう小さな決まりが場所を生かしているのだと感じた。
部屋に戻ると、ストーブの熱が残っていた。
外は完全に風雪になっていた。
窓の向こうは白く、駐車場の90式も輪郭が少しぼやけている。
サヤは布団を敷きながら言った。
「道の駅いなかだては明日だね」
ミズホは地図を広げ、今日の進行を記録した。
大鰐出発。
国道102号線へ。
弘前市街回避。
風雪強まる。
つがる温泉へ投宿。
常駐者なし。日中利用痕跡あり。大浴場利用可能。部屋にストーブあり。
シオナは窓の外を見ていた。
「明日の朝、90式は真っ白だね」
サヤが返す。
「共同除雪だね」
ミズホが念を押す。
「一人で雪まみれにならない」
「分かってる」
シオナはすぐに答えた。
サヤが少し笑った。
「学習してる」
「してる」
三人は布団に入った。
部屋のストーブは火を弱め、換気を確認してから止める。
毛布と防寒具を重ねれば、眠るには十分だった。
外では風が鳴っている。
田んぼの道は、今ごろ白く消えているのかもしれない。
弘前市街は、その向こうで沈黙している。
浪岡へ戻る道は、まだ明日の空の下にある。
つがる温泉には人はいなかった。
けれど、湯があり、使い方があり、部屋があり、ストーブがあった。
誰かがここを残していた。
三人は、その残された温もりを借りて、夜を明かした。
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