市民病院へ向かう前に
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
文明崩壊後の世界を90式戦車に乗って見に行こう
本文
青森駐屯地との無線を終えたあと、三人はすぐには動かなかった。
スタバの駐車場に停めた90式の中で、ミズホは地図とメモを見比べていた。青森市民病院へ向かう道筋。その手前にあるロードサイドの店舗。港へ向かう経路。青森市中心部へ入りすぎないための線引き。
サヤは店内から回収したインスタントコーヒーの箱を抱えて戻ってきたが、表情は少し硬かった。
「薬を届けるってなると、やっぱり雰囲気変わるね」
ミズホはうなずいた。
「変わる。ここからは、拾えるものを拾うだけじゃなくて、必要なものを選ぶことになる」
シオナは車外の雪を見た。
青森中央インター周辺は、街の外縁らしい静けさを保っている。けれど少し先には、感染者が多かったという青森市街がある。フェリーは青森港で自主隔離を続けている。船内で広がっているのは終末ウィルスではなさそうだが、だから安全というわけではない。
「病院へ行く前に、ドラッグストアを見る」
シオナは言った。
ミズホもすぐに同意した。
「うん。市販薬と予防具はそこで揃えられる。病院に入るのは最後でいい」
「病院は怖い?」
サヤが聞いた。
ミズホは少しだけ黙り、それから答えた。
「怖い。終末初期に人が集まった場所だから。薬はあるかもしれないけど、同時に危険も残ってる。だから、まず周辺の薬局やドラッグストアで済むものを集める」
シオナは90式を動かした。
青森市民病院へ向かう途中、道路沿いにドラッグストアが見つかった。駐車場は広く、放置車両も少ない。入口のガラスは割れていないが、自動ドアは動かない。雪が吹き込んだ跡も少ない。
シオナは駐車場の端に90式を停めた。
「ここで一度集める」
三人はマスクを着け、手袋をして店内に入った。
店内は寒く、暗かった。
棚の一部は荒れている。だが、すべてが持ち去られたわけではない。
ミズホは迷わなかった。
「サヤ、オリコン探して。折りたたみコンテナか、買い物カゴでもいい。種類ごとに分ける」
「了解」
「シオナは入口側と車までの動線確認。あと、重いものを運ぶ時に手伝って」
「分かった」
ミズホは棚を見て回った。
解熱鎮痛薬。
総合感冒薬。
咳止め。
喉の薬。
経口補水液。
消毒液。
手指用アルコール。
マスク。
使い捨て手袋。
体温計。
冷却シート。
うがい薬。
ビタミン剤。
胃薬。
湿布。
絆創膏。
包帯。
ガーゼ。
彼女は使えるものを選び、期限を見て、箱が濡れていないものを優先した。薬品名が分からないものや、保管状態が怪しいものは避ける。
サヤがオリコンを見つけて戻ってきた。
「これ使える。裏に在庫用の折りたたみコンテナがあった」
「助かる。市販薬、消毒、予防具、船内生活用で分ける」
「船内生活用?」
「経口補水液、冷却シート、マスク、手袋、体温計。薬だけ渡しても回らないから」
サヤはうなずき、黙々と詰め始めた。
しばらくして、ミズホは別の棚で足を止めた。
「これもいる」
手に取ったのは、N95規格のマスクだった。数は多くないが、残っている。隣には防塵用のゴーグルや花粉避け用の密閉度が高い眼鏡、簡易レインウェア、ニトリル手袋、養生テープもあった。
ミズホは一つずつ確認していく。
「私たち用にも確保する。病院へ入るなら、普段のマスクじゃ足りない」
サヤが少し緊張した声を出した。
「本格的になってきた」
「本格的にしないと入っちゃ駄目な場所だから」
ミズホの声は冷静だった。
シオナはオリコンを90式へ運びながら言った。
「病院に入らない選択肢は?」
「ある。ドラッグストアだけで必要量が揃えば、病院へ入らなくてもいい。でもフェリーの人数が分からない。慢性疾患薬や医療用の消毒資材は病院や調剤薬局に残っている可能性が高い」
「危なければ撤退」
「絶対に撤退」
ミズホは強く言った。
三人はドラッグストアで揃えられるものを、オリコン単位でまとめた。
市販薬の箱。
消毒用品。
マスクと手袋。
体温計や衛生用品。
経口補水液と栄養補助食品。
そして三人自身の予防装備。
サヤはオリコンを見下ろして言った。
「これ、もう小さな薬局だね」
ミズホは首を横に振った。
「まだ市販薬中心。病院へ行けば、もっと必要なものがあるかもしれない。でも、ここでこれだけ揃ったのは大きい」
シオナは荷物を固定しながら答えた。
「次は市民病院」
その言葉で、三人の空気が少し変わった。
青森市民病院へ向かう前に、三人は駐車場で装備を整えた。
まず上下が分かれたレインウェアを着る。
防水性のある上着とズボン。袖口と裾をきちんと重ねる。
足元は長靴。
ズボンの裾を長靴の外に出し、雪や汚れが入りにくいようにする。
手にはニトリル手袋。
その上から必要に応じて作業用手袋を重ねるが、院内へ入る時はニトリル手袋を基本にする。
ミズホは養生テープを取り出した。
「袖口と手袋の隙間を塞ぐ。長靴まわりも、動ける範囲で塞ぐ」
サヤは腕を差し出した。
「これ、見た目が完全に怪しい人だね」
「怪しくていい。安全の方が大事」
ミズホはテープを巻きすぎないように気をつけながら、サヤの袖口を固定した。次にシオナ、最後に自分。動かせるか、血流を締めすぎていないかも確認する。
N95マスクを着ける。
ミズホは二人に向かって言った。
「鼻の部分を押さえて。隙間ができないように。息を吸って、少し張りつく感じがあるか確認」
サヤは少し息苦しそうにした。
「これ、慣れない」
「無理に長時間はしない。苦しくなったら言って」
次にゴーグル。
花粉避け用のものだが、目を覆うには十分だった。隙間が完全ではないにしても、何もしないよりははるかにましだった。
シオナは自分の格好を見下ろした。
レインウェア。
長靴。
手袋。
テープ。
N95。
ゴーグル。
戦車に乗って旅をしているのに、病院へ入るための姿は、むしろ清掃員か防疫作業員のようだった。
サヤが自分の腕を見ながら言った。
「これで病院に入るんだ」
ミズホは静かに頷いた。
「入る。でも全部は見ない。目的は医薬品。危険な病棟や病室には入らない。薬剤部、救急外来周辺、保管庫、調剤薬局。見られる範囲だけ」
「人がいたら?」
シオナが聞いた。
「声をかける。反応が怪しければ近づかない。発症者らしい人がいたら撤退。遺体が多い場所にも入らない」
サヤは小さく息を吸った。
「了解」
ミズホは二人を見た。
「それと、病院の中では余計なものに触らない。顔を触らない。マスクを直す時は外で。出たら手袋を外して、レインウェアもできるだけ外で脱ぐ。汚染側と清潔側を分ける」
シオナはうなずいた。
「ミズホの指示で動く」
サヤも続けた。
「うん。病院内はミズホ隊長」
ミズホは少し困った顔をした。
「隊長じゃないけど、そこは私が見る」
シオナは90式の車体に手をついた。
「私たちは運ぶ。ミズホが選ぶ」
「それでいい」
ドラッグストアで集めたオリコンを固定し、三人は再び90式に乗り込んだ。
青森市民病院へ向かう道は、さっきより重く感じられた。
ただ薬を拾いに行くのではない。
感染の跡が残っているかもしれない場所へ、入る。
それでも、フェリーからの声はまだ無線の向こうにあった。
船内で降りることをためらい、自主隔離を続け、薬を求める声。
サヤはマスク越しに言った。
「届けられるといいね」
ミズホはオリコンの固定を確認しながら答えた。
「届けるために、まず私たちが無事に戻る」
シオナは前を見た。
「青森市民病院へ向かう。危険なら戻る」
90式はゆっくり動き出した。
戦うためではない。
薬を探すために。
そして、港で待つ人たちへ届けるために。
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