市民病院の薬
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
文明崩壊後の世界を90式戦車に乗って見に行こう
本文
青森市民病院へ近づくにつれて、三人の会話は減っていった。
道路は通れる。
だが、人の気配は薄い。
青森市中心部の完全な奥ではない。けれど、ここも市街の一部だった。雪をかぶった道路脇には、放置された乗用車がいくつか残っている。店のシャッターは下り、信号は消え、風で飛ばされた紙が歩道の隅に凍りついていた。
サヤはハッチから短く外を確認し、すぐに閉じた。
「前方、病院の案内。放置車両はあるけど、通れる」
ミズホはマスク越しに答えた。
「病院の正面玄関には寄りすぎないで。救急搬入口か薬剤関係の動線を見たい」
シオナはうなずいた。
「分かった。広い場所に停める」
青森市民病院の周辺には、終末初期の混乱の名残が残っていた。
救急車両が斜めに停まっている。
入口付近には、古い誘導表示と、倒れたカラーコーン。
人が殺到したような痕跡はあるが、弘前のように焼け落ちた街ではなかった。
ただ、静かだった。
静かすぎた。
シオナは病院の建物から少し離れた位置に90式を停めた。すぐに出られる向きにし、周囲を確認する。
ミズホは三人の装備をもう一度見た。
「マスク、隙間確認。ゴーグル。手袋。袖口のテープ。長靴まわり。中では顔を触らない。声は小さくしすぎない。何かあったらすぐ戻る」
サヤは深く息を吸った。
「了解」
シオナも短く答えた。
「ミズホの指示で動く」
病院内へ入る時、ミズホが先頭に立った。
かつての職場ではない。
けれど、病院の空気は病院の空気だった。
受付は無人。
電気はない。
案内板だけが残っている。
床には、終末初期に人が動いた跡があった。紙、手袋、倒れた椅子、置き去りの車椅子。だが、三人が想像していたほどの惨状ではなかった。
ミズホは足を止めずに言った。
「病棟には行かない。救急外来も深く入らない。薬剤部と保管庫を探す」
サヤは声を落とした。
「本当に人、いないね」
「いると思って動く」
ミズホは即座に返した。
「見えていないだけかもしれない」
三人は案内表示を頼りに、薬剤部周辺へ向かった。
途中、閉まった扉がいくつもあった。
一部は施錠されている。
一部は開いている。
ミズホは無理にこじ開けず、開いている範囲だけを確認していった。
薬剤部の一角は、荒らされてはいたが、完全には空ではなかった。
棚には残された箱がある。
点滴関連の資材。
消毒薬。
ガーゼ。
包帯。
手袋。
一部の一般薬。
そして、用途が分かる範囲の薬剤。
ミズホは一つずつ見ていった。
「分からないものは持たない。保管条件が怪しいものも避ける。冷蔵が必要な薬は基本的に駄目」
サヤはオリコンを持っていた。
「これは?」
「消毒用。入れて」
「これは?」
「解熱鎮痛。期限を見る。濡れてなければ入れて」
シオナは重い箱を運びながら、周囲を見ていた。
「ミズホ、これ点滴の袋?」
ミズホは近づいて確認した。
「輸液。状態を見る。破損なし、濁りなし……使える可能性はあるけど、船側で扱える人がいるか分からない。数を絞る」
彼女の判断は速かったが、雑ではなかった。
持っていけるから持つのではない。
使えるものを、使える人へ渡す。
それが基準だった。
三人は薬剤部周辺で、とりあえず必要な医薬品と衛生資材を確保した。
消毒薬。
手袋。
マスク。
ガーゼ。
包帯。
解熱鎮痛薬。
咳や喉に使える薬。
経口補水に使えるもの。
体温計。
一部の常備薬。
そして、船側へ渡す際に分類できるよう、紙とペン、ラベル類も持った。
病院を出る前、ミズホは足を止めた。
「ここで終わりにする」
サヤが聞く。
「もっと探さなくていい?」
「深く入るほど危ない。今の分で、とりあえずの支援はできる」
シオナはうなずいた。
「戻ろう」
三人は来た道を戻った。
病院の外へ出た瞬間、サヤは大きく息を吐きそうになり、ミズホに止められた。
「まだマスク外さない。90式の外で脱ぐ手順を守る」
「はい」
建物から離れた場所で、ミズホは簡易的に汚染側と清潔側を分けた。
外側の手袋を外す。
レインウェア表面を消毒できる範囲で拭く。
オリコンの外側も拭く。
薬品箱は種類ごとに分け、車内へ入れるものと外部ラックへ固定するものを分ける。
サヤは緊張が解けたように肩を落とした。
「病院、怖かった」
ミズホは頷いた。
「うん。私も」
「ミズホでも?」
「病院だから怖いんだよ」
その言葉に、サヤは何も返さなかった。
病院で確保できたものを積み込んだあと、三人は周辺の調剤薬局とドラッグストアも確認した。
病院近くの薬局は一部が施錠されていたが、入れる店舗もあった。
そこでは、病院よりも整理された形で薬が残っていた。
調剤棚の薬は、ミズホが分かるものだけを選んだ。
無闇に処方薬を持ち出さない。船側に医療担当者がいるか確認してから使うべきものは、別に分ける。
一方で、一般向けの棚からは追加で市販薬を確保できた。
解熱剤。
咳止め。
のど飴。
トローチ。
胃腸薬。
整腸剤。
湿布。
消毒液。
マスク。
簡易検査キットらしいものも少数見つかったが、保存状態が不明なものは慎重に扱うことにした。
ミズホは薬局のカウンターで、分類ラベルを書いた。
船内すぐ使用可。
医療担当者確認後。
高齢者・基礎疾患注意。
子ども用。
消毒・衛生資材。
補水・栄養補助。
サヤはそれを見て言った。
「ただ渡すより、ずっといいね」
ミズホは答えた。
「船内が混乱しているなら、分けておかないと危ない。薬は助けにもなるけど、間違えると危険だから」
シオナはオリコンを90式へ運びながら言った。
「これで、フェリーに持っていける?」
ミズホは積み上がったコンテナを見た。
「とりあえずの医薬品としては十分。重症者を治療する装備じゃないけど、風邪やインフルエンザ様症状への初期対応、感染拡大防止、船内の衛生維持には役に立つ」
サヤがほっとしたように言った。
「よかった」
「まだ届けてない」
ミズホはそう言ったが、声は少し柔らかかった。
シオナは90式の無線を入れた。
「こちら、青森市民病院周辺。病院および周辺薬局で医薬品と衛生資材を確保。これより分類後、青森港国際クルーズターミナルのフェリーへ搬送予定。青森駐屯地、受信できますか」
少しの雑音のあと、青森駐屯地から応答があった。
『受信しました。無事で何よりです。中心部へ入りすぎないよう注意してください。港方面の経路について、こちらから分かる範囲を送ります』
続いてフェリー側へも連絡を入れる。
「こちら、医薬品を確保しました。現在、解熱薬、咳止め、消毒薬、マスク、手袋、補水用品、衛生資材を分類中です。受け渡し方法を確認したいです。船内から多数が降りることは避けてください」
フェリー側の声は、先ほどより少しだけ明るかった。
『ありがとうございます……受け渡し場所をターミナル側に設定します。船側からは最小人数で対応します』
ミズホは無線に口を近づけた。
「発熱者は出さないでください。受け渡し担当者もマスクと手袋を。可能なら、発熱していない人でお願いします。受け取った後、こちらから分類表を読み上げます」
『了解しました』
通信が終わると、三人はしばらく黙った。
病院と薬局で、必要なものは確保できた。
だが、まだ終わっていない。
次は港。
青森市街の縁を通り、国際クルーズターミナルへ。
自主隔離を続けるフェリーへ、薬を届ける。
シオナは操縦席へ向かいながら言った。
「行こう。届けて、青森駐屯地へ報告する」
サヤはオリコンの固定をもう一度確認した。
「薬、固定よし」
ミズホは分類表とペンを胸元の袋に入れた。
「船には入らない。渡して、説明して、離れる」
「うん」
90式はゆっくり動き出した。
病院の静けさから離れ、港へ向かう。
車内には、薬と消毒液の匂いがわずかに漂っていた。
それは、終末の旅の中では珍しく、誰かを助けるための匂いだった。
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