タラップの下の受け渡し
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
文明崩壊後の世界を90式戦車に乗って見に行こう
本文
青森市民病院と周辺の薬局で集めた医薬品は、90式の車体後部と外部ラックに固定されたオリコンの中に収まっていた。
解熱鎮痛薬。
咳止め。
喉の薬。
消毒液。
マスク。
ニトリル手袋。
ガーゼ、包帯、体温計。
経口補水液。
そしてミズホが分類した、医療担当者確認後に使うべき薬。
一つ一つにラベルが貼られている。
船内すぐ使用可。
医療担当者確認後。
高齢者・基礎疾患注意。
子ども用。
消毒・衛生資材。
補水・栄養補助。
サヤはそのラベルを見ながら言った。
「ミズホがいなかったら、ただ薬を箱に詰めて終わりだったね」
ミズホはゴーグル越しに答えた。
「それが一番危ない。薬は正しく使えないと、ただの危ない荷物になる」
シオナは無線機の前に座った。
まず、フェリー側へ連絡を入れる。
「こちら、青森市民病院周辺から移動準備中の90式。医薬品と衛生資材を確保しました。これより青森港国際クルーズターミナルへ向かいます。受け渡し方法を確認します」
少し雑音が入り、フェリー側から声が返った。
『こちら、青森港停泊中フェリー。受信しました。医薬品確保、ありがとうございます。船内では発熱者区画と無症状区画の分離を継続しています』
ミズホがシオナに頷く。
シオナは続けた。
「受け渡しは非接触で行います。こちらが桟橋に医薬品入りのオリコンを置きます。こちらが離れてから、船側の担当者が回収してください。発熱者は絶対に出さないでください」
『了解しました。タラップ下に受け渡し地点を設定します。船側担当者は二名。発熱なし』
ミズホがマイクを受け取った。
「こちらミズホです。薬の使用について説明があります。オリコンごとに分類ラベルを貼っています。すぐ使える市販薬と、医療担当者確認後に使うものを分けています。船内に医師、看護師、薬剤師、救急救命士など医療職の方はいますか」
少し間があった。
『看護師経験者が一名います。現役ではありませんが、船内対応に協力してもらっています。船医はいません』
「分かりました。受け取り後、その方に分類表を確認してもらってください。解熱薬は用量を守ること。複数の薬を重ねて飲ませないこと。高齢者、腎臓や肝臓に持病がある人、妊娠中の人、子どもには特に注意してください。症状が軽い人に薬を使い切らないで、重症化リスクの高い人を優先してください」
『了解しました。記録します』
ミズホはさらに続ける。
「発熱者区画では換気を意識してください。寒くても完全密閉にしない。水分を取らせる。経口補水液は一気に飲ませず少量ずつ。マスクは濡れたり汚れたりしたら交換。使用済みのものは袋にまとめてください」
『了解しました』
その声には、安堵と緊張が混じっていた。
次にシオナは青森駐屯地へ連絡した。
「こちら90式の三名。青森港停泊中フェリーへ医薬品を非接触で届けます。フェリー側へ青森駐屯地の周波数を伝達し、以後三者間で連絡可能にします」
青森駐屯地側から応答があった。
『こちら青森駐屯地。了解しました。こちらでも受信態勢を整えます。フェリー側には、当面は船内隔離を継続するよう伝えてください。感染状況が収まり、こちらの人員調整がつき次第、接触を検討します』
ミズホが小さく頷いた。
シオナはフェリー側へ戻した。
「青森駐屯地の周波数を伝えます。今後はそちらと直接連絡を取れるようにしてください。青森駐屯地は、船内の感染が落ち着き、人員調整ができ次第、接触を検討すると言っています」
フェリー側から、はっきりした返答が来た。
『ありがとうございます。青森駐屯地の周波数を確認しました。こちらからも定時連絡を試みます』
これで、三者がつながった。
シオナたちだけがフェリーの声を拾っている状態ではなくなった。
港の船と、陸の駐屯地と、その間を走る90式。
一本の細い線ができた。
「行こう」
シオナが言った。
90式は青森港へ向かった。
市街中心部へ深く入り込まないよう、青森駐屯地から聞いた経路をたどる。道路は完全に安全ではない。放置車両もある。だが、通れないほどではなかった。
港へ近づくと、空気の匂いが変わった。
雪とアスファルトの匂いに、海の冷たい匂いが混じる。
建物の向こうに、青森港国際クルーズターミナルの姿が見えてきた。
その先に、フェリーがいた。
大きな船体が、岸壁に寄せられている。
完全な港湾運用ではない。どこか慎重で、仮の停泊という雰囲気があった。係留索は張られているが、周囲に港湾作業員の姿はない。ターミナルの建物も静まり返っている。
サヤが息を呑んだ。
「本当に、船がいる」
ミズホは無線を確認した。
「船側へ連絡する」
シオナはターミナル前の広い場所に90式を停めた。そこからタラップの下までは、オリコンを運べる距離だった。
「こちら90式。ターミナル前に到着。これより医薬品をタラップ下へ搬送します。船側担当者は、こちらが離れるまで船内待機をお願いします」
『了解しました。担当者は船内で待機します。こちらから見えています』
三人は防護装備を確認した。
レインウェア。
長靴。
ニトリル手袋。
N95。
ゴーグル。
病院で使った装備のまま、必要な部分は交換済みだった。タラップ周辺も汚染区域として扱う。船側と直接会話はしない。無線のみ。
シオナとサヤがオリコンを下ろし、ミズホが分類表を確認する。
一箱目。市販薬。
二箱目。消毒・衛生資材。
三箱目。補水・栄養補助。
四箱目。医療担当者確認後。
五箱目。マスク・手袋・ゴーグル類。
重い箱は二人で持った。
タラップの下に、雪を払った場所を作る。
そこへオリコンを積む。
倒れないように並べ、ラベルが見える向きにする。
分類表を防水袋に入れて、一番上の箱へ固定する。
ミズホは無線で伝えた。
「タラップ下に医薬品を設置しました。上から順に分類ラベルがあります。防水袋に分類表を入れています。船側担当者は、回収後すぐに無症状区画ではなく、管理できる場所へ運んでください。発熱者区画へ箱ごと持ち込まないでください。必要分だけ分けてください」
『了解しました。箱ごと発熱者区画へは入れません』
「使用前に、看護師経験者の方が分類表を確認してください。不明な薬は使わず、青森駐屯地またはこちらに無線で問い合わせてください」
『了解しました』
作業が終わると、シオナはサヤとミズホに合図した。
「離れよう」
三人は来た道を戻り、90式のそばまで下がった。
シオナは無線を入れた。
「こちら90式。設置完了。これより受け渡し地点から離れます。船側、回収を開始してください」
少しして、フェリーのタラップ上に人影が現れた。
二人。
防護具というには簡易だったが、マスク、手袋、ビニールのエプロンを身に着けている。動きは慎重だった。彼らはタラップを降り、オリコンの前で一度止まり、ラベルを確認する。
サヤは90式の影から見守った。
「ちゃんと読んでる」
ミズホは頷いた。
「焦ってない。いい」
船側の二人は、オリコンを一つずつタラップ上へ運び始めた。重い箱は二人で持ち、途中で置き直しながら運んでいる。
やがてすべての箱が船側へ回収された。
無線が入る。
『こちらフェリー。医薬品、衛生資材を受領しました。分類表を確認しました。本当にありがとうございます』
ミズホがマイクを取った。
「船内での分配は急ぎすぎないでください。まず管理者を決めて、記録をつけてください。誰に何を渡したか、必ず残してください。高熱、息苦しさ、意識の低下、脱水がある人は優先して確認してください」
『了解しました。記録します』
青森駐屯地からも無線が入った。
『こちら青森駐屯地。フェリーとの直接通信を確立しました。今後、定時連絡を設定します。船内の感染状況が収まり次第、人員を調整して接触に向かいます。それまでは自主隔離を継続してください』
フェリー側が応答する。
『こちらフェリー。了解しました。自主隔離を継続します。上陸は行いません。体調不良者の推移を定時報告します』
三者の通信が、同じ周波数上でつながった。
シオナは無線のやり取りを聞きながら、少しだけ肩の力を抜いた。
自分たちが全てを解決したわけではない。
船内の風邪はこれからも続くかもしれない。
薬が足りる保証もない。
青森駐屯地がすぐ接触できるわけでもない。
それでも、船はもう孤立していない。
サヤが小さく言った。
「声が届いたね」
ミズホは静かに答えた。
「うん。薬も届いた」
シオナは港の向こうの海を見た。
終末の青森市。
沈黙した街。
自主隔離するフェリー。
人員の足りない駐屯地。
そして、東京で見つけた90式。
いろんなものが、ぎりぎりのところでつながっている。
「青森駐屯地へ報告しよう」
シオナは言った。
「それから、次の道を聞く。大湊へ」
サヤは頷いた。
「うん」
ミズホも分類表の控えをしまいながら言った。
「フェリーの定時連絡時間も記録しておく。必要なら、次の拠点に伝えられるように」
港の雪は、静かに降り始めていた。
タラップの下にはもうオリコンはない。
けれど、そこには確かに一度、陸から船へ渡されたものがあった。
薬。
連絡手段。
そして、まだ誰かが誰かを見捨てていないという証拠。
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