横浜寮の食堂
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
文明崩壊後の世界を90式戦車に乗って見に行こう
本文
横浜吹越方面から国道279号線へ戻った90式は、夕方の光が落ちかけるころ、道の駅よこはまの駐車場へ入った。
雪は降っていない。
けれど風は冷たく、むつ湾の方から来る湿った空気が、車体の上を撫でていく。
シオナは駐車場の端に90式を停めた。
出入口を塞がず、すぐに動かせる向き。
もう何度も繰り返してきた停め方だった。
エンジンを止めると、辺りは急に静かになった。
サヤはハッチから顔を出し、周囲を見回した。
「電気、点いてるね」
道の駅の建物の一部に灯りがある。
強くはないが、非常灯ではない。普通の照明が生きている。
ミズホも外を見た。
「駐車場も、完全には埋もれてない。除雪されてる」
シオナは頷いた。
「誰かが使ってる」
その言葉の通り、しばらくすると人影が現れた。
最初は道の駅の建物の方からではなかった。
少し離れた方角の建物があるあたりから、防寒着姿の人たちが数人、こちらへ歩いてくる。
90式のエンジン音が響いたのだろう。
この静かな町では、戦車の低い音は遠くまで届く。
集まってきた人々は、最初こそ警戒していた。だが、武器を構えるような雰囲気ではない。驚きと困惑の方が強かった。
その中に、腕章をつけた男性と、作業着の上に防寒着を羽織った女性がいた。行政関係者と、電力か原燃関係の人間に見える。
男性が声をかけてきた。
「どちらから来られたんですか」
シオナはハッチから顔を出し、両手を見える位置にした。
「野辺地から来ました。青森市内、浅虫、野辺地を経由して、大湊へ向かっています」
「青森市内から?」
その言葉で、人々の表情が変わった。
女性が一歩前に出る。
「青森市側の状況が分かるんですか」
ミズホが記録ノートを持って降りた。
「浪岡、青森中央、青森港、浅虫、野辺地の情報があります。青森港のフェリーとも連絡をつなぎました。野辺地病院には、青森市内で確保して残っていた医薬品も渡しています」
周囲がざわついた。
青森港。
フェリー。
野辺地病院。
大湊。
横浜町側にとって、それは断片的にしか入っていなかった南側の情報だった。
腕章の男性は、すぐに判断した。
「ここでは寒い。詳しく話を聞かせてください。寮の食堂を使えます。夕食もまだありますから」
サヤが小さく言った。
「寮?」
女性が答えた。
「日本原燃の寮です。今は社員だけでなく、電力関係者、町の職員、連絡員の宿泊場所にもなっています。空き部屋もあります」
シオナは少しだけミズホを見た。
ミズホはうなずいた。
「体調も問題ない。行こう」
三人は90式を駐車場に残し、必要な荷物だけを持って寮へ案内された。
寮の建物には灯りがあった。
玄関には雪を払うための道具が置かれ、掲示板には手書きの当番表、節電の注意、給油記録、むつ・東通方面の連絡予定が貼られている。
サヤはそれを見て、思わず言った。
「ここ、ちゃんと生活してる」
案内の女性は頷いた。
「生活は続いています。物流は苦しいですけど、電気があるのは大きいですね」
食堂に入ると、温かい空気と食事の匂いがあった。
大きなテーブル。
湯気の立つ鍋。
炊飯器。
壁際に積まれた水や保存食。
テレビは点いていないが、代わりに地図と無線機が置かれている。
そこは、ただの社員寮の食堂ではなく、下北半島南端側の連絡拠点になっていた。
三人は食堂の一角に案内され、夕食を一緒に取ることになった。
米飯。
味噌汁。
野菜の煮物。
缶詰を使った魚料理。
保存食の漬物。
華やかではない。
けれど、これまでの旅で何度も感じてきた「人が人のために用意した食事」だった。
サヤは椀を受け取りながら、小さく言った。
「道の駅で寝る覚悟だったから、食堂はありがたいね」
ミズホが答える。
「ちゃんと温かいものがある」
シオナは静かに頷いた。
食事をしながら、情報交換が始まった。
まず三人が話した。
東京から北上してきたこと。
神町駐屯地、舟形、庄内、にかほ、秋田駐屯地、大館、矢立、大鰐を経て青森へ入ったこと。
浪岡の避難拠点。
青森市内の状況。
青森港で自主隔離していたフェリー。
青森市民病院と薬局で医薬品を確保し、フェリーへ非接触で届けたこと。
フェリーと青森駐屯地の通信をつないだこと。
浅虫から野辺地へ進み、野辺地病院に医薬品を渡して燃料を補給してもらったこと。
食堂にいた人たちは、誰も軽く聞かなかった。
何人かは地図に書き込み、何人かはメモを取り、行政関係者は青森市側の情報を一つずつ確認した。
「青森駐屯地は大湊とは連絡が取れていないんですね」
「はい」
シオナは答えた。
「ただ、青森港のフェリーから、青森に入る前の夜に大湊方面で明かりが見えたと聞きました」
その言葉に、横浜町側の人々は少し表情を緩めた。
作業着の女性が言った。
「それは、見間違いではないと思います」
サヤが顔を上げる。
「大湊、生きてるんですか」
「ええ。むつ市内も、大湊方面も生きています。下北半島全体としては、終末ウィルスの流入は大きくありませんでした。東通方面の電力も維持されています。通信と物流が途切れたことが一番の問題です」
ミズホが確認する。
「医療は?」
「むつ総合病院を中心に、維持はされています。ただし、外部から薬や消耗品が入らないので、節約しながらです。感染爆発がなかったのは幸いでした」
行政関係の男性が地図を指した。
「ここから大湊へは、国道279号線でむつ方面へ向かうのが基本です。天候が良ければ、明日には大湊まで行けるでしょう。ただし、海沿いの風と雪には注意してください。夜間はやめた方がいい」
シオナは地図を見た。
横浜町。
むつ市。
大湊。
ずっと遠かった場所が、ようやく現実的な距離になっていた。
サヤがぽつりと言った。
「明日、本当に大湊なんだ」
ミズホはすぐに言う。
「天候と体調次第」
「はいはい」
シオナは少し笑った。
「もうそれは分かってる」
ミズホは真面目に続けた。
「分かってるならいい」
横浜町側からは、空き部屋が提供された。
「寮の一室を使ってください。今は巡回者や連絡員用にいくつか空けています。暖房も入りますし、シャワーも使えます。ただし節電中なので、長時間の使用は控えてください」
サヤの顔が明るくなった。
「シャワーあるんですか」
「あります。温泉ではありませんが」
「十分です」
シオナも礼を言った。
「助かります」
その夜、三人は寮の空き部屋に案内された。
部屋は簡素だった。
ベッド、机、収納、暖房。
社員寮らしい実用的な空間。
それでも、暖かく、明るく、外の風を防いでくれる部屋だった。
サヤはベッドに腰を下ろし、ほっと息を吐いた。
「社員寮に泊まる戦車旅」
ミズホが荷物を置きながら答える。
「もう何に泊まっても驚かないと思ってたけど、これは少し意外」
シオナは窓の外を見た。
道の駅の駐車場に、90式が停まっている。
その向こうに、下北の夜が広がっている。
だが、その夜は真っ暗ではなかった。
建物の明かりがある。
人の気配がある。
大湊へ向かう道が、ここからつながっている。
「明日は大湊」
シオナは小さく言った。
サヤは頷いた。
「うん」
ミズホも静かに答えた。
「明日の朝、体調確認してから」
シオナは苦笑した。
「そこは省略しないんだ」
「しない」
食堂で得た情報は確かだった。
下北半島は生きている。
大湊にも人がいる。
その事実だけで、三人の夜は少し軽くなった。
外では風が鳴っていた。
けれど寮の部屋は暖かかった。
東京から始まった90式の旅は、ついに大湊の手前まで来ていた。
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