第二十四話 お誕生日おめでとう!
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あらすじ
〜不思議の国のアリスをモチーフにした作品です〜 白兎に導かれて“不思議の国”へ迷い込む、十四歳の少女アリス。 そこにいたのは、甘く優しい白兎の美青年ノア。 アリスを守る彼は、この国に隠された秘密を知っていた。失われた記憶を巡り物語が再び動き出す。 可憐で不穏な、童話ファンタジー。 白兎は、私を救いに来たの? それとも、もう二度と帰さないために迎えに来たの?
本文
第二十四話 お誕生日おめでとう!
ワンダラーで迎える朝は、いつも少しだけ現実味が薄い。
窓辺のレースカーテンは、夜露を含んだ光を受けて淡く透けていた。外では、青い鳥が屋根の上で逆さまに止まりながら歌っている。畑の方からは、ムラサキねむりかぶの小さなあくびが聞こえた。
ふぁあ、と眠たげな声。
それにつられて、アリスも小さくあくびをした。
今日は、十五歳の誕生日だった。
けれど、朝目覚めた瞬間、アリスはそのことを少しだけ忘れていた。
枕元に、薄い水色の封筒が置かれていたからだ。
アリスは目を瞬かせた。
封筒には、見慣れた丁寧な字で名前が書かれている。
『アリスへ』
お姉様の字だった。
胸が、どくんと鳴った。
アリスは慌てて身を起こす。封筒を手に取る指が震えた。
ノアが言っていた。
元の世界へ、手紙なら送れる、と。
あの夜、アリスは何度も書き直して、姉へ手紙を書いた。
自分は無事でいること。詳しい場所は言えないけれど、心配しないでほしいこと。必ず帰ること。屋敷のことをお願いしたいこと。
泣きながら書いた手紙だった。
その返事が届いたのだ。
アリスは息を詰めたまま、封を開く。
便箋には、お姉様らしい整った文字が並んでいた。
――アリス。あなたが無事でいてくれたこと、それだけで私は救われました。
最初の一文を読んだだけで、視界が滲んだ。
お姉様は怒っていなかった。
責めてもいなかった。
ただ、無事でいてくれてよかったと書いていた。
屋敷では、アリスが突然姿を消したことで大きな騒ぎになったこと。けれど、時間の流れに奇妙なずれがあるのか、こちらで過ごした日々ほど、向こうでは時間が進んでいないらしいこと。
叔父たちは相変わらずだが、お姉様は旦那様と一緒に薔薇園を守ってくれていること
ひとつひとつの言葉が、胸の奥へ染み込んでいく。
最後には、こう書かれていた。
――この手紙が、あなたの十五歳の誕生日の頃に届くことを祈っています。少し早くても、少し遅くても、どうか受け取って。お誕生日おめでとう、アリス。あなたがどこにいても、私はあなたのお姉様です。帰る場所は、ちゃんとここにあります。だから焦らず、あなたが信じる道を選びなさい。
アリスは便箋を胸に抱いた。
涙が、ぽろぽろ落ちる。
帰る場所がある。
その言葉は、痛いくらい温かかった。
けれど、涙の奥で、ふと小さな違和感が揺れた。
便箋の最後。
そこに書かれていた署名。
〈愛を込めてローズマリーより〉
アリスは、指先でその名前をなぞった。
「……ローズマリー、お姉様」
声に出した瞬間、胸の奥で何かがかちりと合った。
そうだ…。
お姉様の名前は、ローズマリーだった。
優しくて、凛としていて、薔薇の香りが似合う人。
どうして、今まで名前を忘れていたのだろう…。
お姉様。
そう呼ぶことはできた。
顔も、声も、手の温かさも覚えていた。
けれど名前だけが、薄い霧の向こうに隠れていたみたいだった。
アリスは便箋を握りしめる。
不安が、胸の底をそっと撫でた。
その時、階下からボンッ、と小さな音。
それから、甘い匂い。
バターが溶けるまろやかな香り。蜂蜜。それから、少しだけ焦げた砂糖の匂い。
ノアが朝食を作っている。
にんじん柄のエプロンをつけて、きっと今日も、何でもない顔で少し不思議なことを言うのだろう。
アリスは涙を拭い、便箋を丁寧に畳んだ。
胸の奥に残った違和感をそっとしまい、アリスは手紙を抱えたまま、階段を駆け下りた。
「ノア!」
キッチンへ飛び込むように入ると、ノアが振り返った。
白銀の髪をさらりと揺らし、やっぱりにんじん柄のエプロンをつけている。いつもの砂糖菓子みたいな笑顔を浮かべていたけれど、今日はどこか落ち着きがなかった。
白い兎耳の先が、いつもより少し忙しく揺れている。
「おはよう、アリス」
「おはようございます、ノア」
アリスは息を弾ませながら、手紙を胸に抱いた。
「お姉様からの手紙、届いていました」
「うん」
ノアの目元がやわらぐ。
「よかった」
「ありがとうございます」
「僕は送っただけだよ」
「それでも、ありがとうございます」
アリスがまっすぐ言うと、ノアは少し困ったように笑った。
その顔を見て、胸の奥がふわりと温かくなる。
けれど同時に、さっきの違和感が小さく残っていた。
ーお姉様の名前。
ーーローズマリー。
ーーーどうして、今まで。
「アリス?」
ノアが小首を傾げた。
アリスははっとして、首を振る。
「何でもありません」
「本当に?」
「はい」
ノアは少しだけ目を細めた。
けれど、追及はしなかった。
その代わり、何事もなかったように鍋へ向き直る。
「それより、朝食にしようか。今日は、少し特別にしたんだ」
アリスは瞬きをした。
鍋の周りには、いつもの朝食には使わないものが並んでいた。
蜂蜜。白いクリーム。赤い実。青い星形の果物。それから、砂糖でできた小さな白うさぎ。
アリスは、鍋のガラス蓋の上から中を覗き込んだ。
白いクリームが、ふわふわと泡立っている。その中に、小さな光の粒がいくつも混じっていた。金色や銀色の粒が、鍋の中でくるくる回り、時々ぱちんと弾けて小さな星の形になる。
「これ、何ですか?」
「星屑クリームだよ」
ノアは何でもないことのように言った。
「鍋の蓋を開ける時に気をつけないと、星屑たちが逃げ出して、部屋中が流星群だらけになるからね」
「流星群だらけ……?」
「そう。前に一度、食器棚に衝突して大変だったんだ」
「それは、朝食なんですか?」
「うん、でも大丈夫。少し、空模様に近いだけだよ」
ノアは涼しい顔で答えた。
アリスは鍋の中で弾ける星屑を見つめた。
……本当に、食べても大丈夫なのだろうか。
その時、鍋の蓋が、ぽん、と小さく跳ねた。
中から白いクリームがふわりと膨らみ、鍋の縁から少しだけこぼれる。
ノアの兎耳が、ぴんと立った。
「……待って。まだ逃げちゃだめ」
「逃げるんですか?」
「星屑だからね。油断すると、流れて行っちゃうんだ」
ノアは真面目な顔で鍋の蓋を押さえた。
アリスは、鍋とテーブルの上を見比べた。
「今日の朝食、ずいぶん準備が多いんですね」
「そうかな」
「はい。いつもの朝食より、少しだけ……パーティーみたいです」
ノアは一瞬だけ黙った。
それから、降参したように小さく笑う。
「……君の十五歳の朝だからね」
胸の奥が、きゅっと温かくなる。
「覚えていてくれたんですね」
「忘れるわけがないよ」
ノアは静かに言った。
いつもの砂糖菓子みたいな笑顔。
けれど、その笑顔が朝の光に溶けるようにやわらかくて、アリスは思わず息を止めた。
胸の奥が、また小さく鳴る。
どうしてだろう。
あの夜から、ノアの目元が優しく細められるたび、心臓の近くがくすぐったくなって、落ち着かなくなる。
「お誕生日おめでとう」
アリスの胸がいっぱいになる。
元の世界で迎えるはずだった誕生日。
寂しくない、と言ったら嘘になる。
けれど、寂しいだけではなかった。
「……ありがとうございます、ノア」
アリスがそう言うと、ノアは少しだけ目を細めた。
「どういたしまして」
その声があまりに優しくて、アリスは胸元の手紙を、そっと抱きしめた。
食卓に並んだのは、星屑クリームがたっぷりのった、ふっくらパンケーキだった。琥珀色の蜂蜜がとろりとかかっている。周りには赤い実と青い星形の果物。クリームの上では、砂糖で作られた小さな白うさぎが、ちょこんと座っていた。
アリスは椅子に座り、もう一度その皿を見つめる。
上に乗った白うさぎと目が合う。
「かわいい……」
「逃げなかった砂糖うさぎだよ」
「逃げなかった、という紹介なんですね」
「そこは大事だからね」
ノアは真面目な顔で言った。
アリスは思わず笑ってしまった。
「本当はケーキを焼こうと思ったんだけど」
ノアは紅茶を注ぎながら、少しだけ真面目な顔をした。
「台所が三回ほど大変なことになってね」
「三回?」
「一回目は、生地が風船みたいに膨らんで飛んでいって」
「……え?」
「二回目は、フルーツたちの機嫌が悪くてね…暴れて大惨事」
「機嫌……?」
「三回目は、クリームがハートの形になったあと、爆発した」
「……ノア、何を入れたんですか?」
「材料は普通だったよ」
ノアは少しだけ目を逸らした。
それから、アリスには聞こえないほど小さな声で呟く。
「……たぶん、僕の気持ちが多すぎたせい」
アリスは首を傾げた。
「何か言いました?」
「いいや。ケーキは気難しい、という話」
「……違った気がします」
「気のせいだよ」
ノアはいつものように甘く笑った。
けれど兎耳の先だけが、ほんの少し揺れていた。
「だから、パンケーキにしたよ」
「賢明な判断ですね」
「褒められた」
「褒めました」
二人で笑い合う。
フォークを入れると、パンケーキはふわふわだった。蜂蜜の甘さと、星屑クリームのひんやりした甘さが重なる。口に入れた瞬間、小さな星屑がぱちぱちと弾けた。
「……!」
アリスは目を丸くした。
舌の上で、金色の小さな星が弾けるみたいだった。甘くて、冷たくて、少しくすぐったい。
「ノア、これ……!」
「うん?」
「ぱちぱちします」
「星屑だからね」
「星屑って、ぱちぱちするものなんですか?」
「ワンダラーの星屑は、機嫌がいいと弾けるよ」
「機嫌が悪いと?」
「歯に挟まる」
「……それは嫌です」
アリスが真剣に言うと、ノアはとうとう小さく吹き出した。
その笑い方が、いつもより少し幼く見えて、アリスまでつられて笑ってしまう。
もう一口食べる。
また、ぱちぱち。
今度はアリスの舌先で、小さな星が三つほど弾けた。
「楽しくて、美味しくて、最高です!」
アリスがそう言うと、ノアは一瞬だけ目を丸くした。
それから、心底ほっとしたように笑った。
「それはよかった」
声が、いつもより少しだけ弾んでいた。
「星屑クリームも、今日は機嫌がいいみたいだ」
「ノアがちゃんと蓋を押さえていたからですか?」
「それもあるね」
ノアはアリスの皿の上を見て、少しだけ得意げに片方の口の端を上げた。
「でも、きっと君の誕生日だからだよ」
アリスはフォークを持ったまま、少しだけ頬を赤くした。
「星屑も、祝ってくれているんですか?」
「もちろん」
ノアは砂糖菓子みたいに甘く笑った。
「今日は、そういう日にしたかったから」
その言葉に、アリスはまた胸がきゅっとした。
ノアは無自覚に甘い言葉を言う。
だからアリスは、何でもない顔で受け取る方法が分からなくなる。
甘い蜂蜜と、ぱちぱち弾ける星屑と、向かい側で笑う白兎。
それらが全部混ざって、十五歳の朝を、少しだけ特別なものに変えていく。
アリスはもう一口、星屑蜂蜜パンケーキを食べた。
ぱちぱち、と小さな星が弾ける。
ノアがそれを見て、また嬉しそうに笑った。
その時間は、あまりにも穏やかだった。
テーブルの上の甘い香りと、朝の光。お姉様の手紙と、ノアの笑顔が世界のすべてみたいだった。
*
食事のあと、ノアは小さな箱を差し出した。
淡いピンクのリボンがかかっている。
「これは?」
「誕生日の贈り物」
「そんな、もう十分もらっています」
「いいから」
ノアは少しだけ目を逸らした。
「受け取ってほしい」
アリスはそっと箱を開けた。
中には、小さなペンダントが入っていた。
銀色の細い鎖に、薔薇の形をした小さな飾りがついている。その中心には、透き通った宝石が嵌め込まれていた。
色は、ほとんどない。
けれど光を受けるたび、朝露に空を一滴だけ溶かしたような、淡い青が奥でゆらめく。硝子よりも澄んでいて、氷よりもやわらかい。小さな石の中に、まだ開かれていない扉の気配が眠っているようだった。
「きれい……」
「守り石だよ」
ノアが静かに言った。
「強い力はない。でも、君が迷子になった時、少しだけ帰り道を教えてくれる」
アリスはペンダントを見つめた。
「帰り道……」
「僕のところへ、じゃない」
ノアは少し急ぐように付け足した。
「君が帰りたい場所へ。君自身が選ぶ場所へ」
アリスは顔を上げた。
ノアは微笑んでいる。
けれど、その笑顔には少しだけ痛みが混じっていた。
アリスがいつか元の世界へ帰ることを、彼は分かっている。
分かっていて、それでも帰り道を示すものをくれた。
アリスの胸がきゅっとなる。
「つけても、いいですか?」
「もちろん」
ノアはペンダントを手に取り、アリスの後ろへ回った。
すぐ背後に、ノアの気配が立つ。
それだけで、アリスの背筋が少しだけ固まった。
白い指が、アリスの髪に触れる。
そっと横へ寄せられた髪が、肩から滑り落ちた。
冷たい鎖が首に触れる。
ひやりとした感触に、アリスは小さく息を止めた。
けれど、本当に気になったのは、鎖の冷たさではなかった。
すぐ後ろにいるノアの呼吸。
髪に触れる指先。
首元に落ちる、ほんのわずかな影。
いつもなら平気なはずの距離が、今日はどうしてか、ひどく近く感じる。
心臓が、胸の中で小さく跳ねた。
「痛くない?」
耳元に落ちた声に、アリスはさらにどきりとする。
「……はい」
返事が、少しだけ遅れた。
ノアの指先が、首の後ろで留め具を留める。
触れ方は相変わらず丁寧だった。
壊れ物を扱うみたいに優しくて、だから余計に、落ち着かない。
「きつくない?」
「大丈夫、です」
「よかった」
留め具が、小さく鳴った。
胸元に、薔薇のペンダントが落ちる。
ノアの手が離れた瞬間、アリスはようやく息をした。
自分でも気づかないうちに、息を止めていたらしい。
アリスは胸元の薔薇を手で包んだ。
石はほんのり温かい。
けれど、その温かさがペンダントのものなのか、自分の胸の奥から来ているのか、よく分からなかった。
「とっても綺麗……」
アリスは胸元の薔薇を見つめたまま、小さく呟いた。
「…大切にします」
ノアはそれを聞いて、目を細めた。
「うん」
その顔を見た瞬間、また胸が少しだけ鳴った。
アリスは慌ててペンダントへ視線を落とす。
見られてしまったら、この音まで聞こえてしまいそうだった。
食事のあとの部屋は、少し静かだった。
アリスは窓辺近くのテーブルに座り、胸元のペンダントを指で包んだ。
手紙は、テーブルの上に大切に置いてある。
帰る場所は、ちゃんとある。
それは嬉しい。
痛いくらい、嬉しい。
けれど、ノアが作ってくれた朝食の甘い香りも、星屑が弾けた感触も、ペンダントをつけてくれた時の指先の温度も、もうアリスの中に残ってしまっていた。
元の世界に帰りたい。
それは変わらない。
でも、この家の窓辺近くのテーブルに座っている時間も、少しずつ大切になっている。
そのことが少し怖くて、でも、嫌ではなかった。
「アリス」
ノアの声がした。
振り返ると、ノアが少し離れた場所に立っていた。
白い髪に、窓から入る光が淡くかかっている。
「疲れた?」
「いいえ」
アリスは首を振った。
「少し、考えていました」
「何を?」
アリスは胸元の薔薇を握る。
「十五歳になったんだなって」
「うん」
「十六歳まで、あと一年なんですね」
ノアの赤い瞳が、少しだけ揺れた。
「……うん」
その声を聞いて、アリスは小さく息を吸った。
「実は……ちょっと怖いです」
言葉は、思っていたより静かにこぼれた。
「何が起きるのか、まだ全部は分からないから」
ノアは何も言わなかった。
ただ、逃げずにアリスを見ていた。
アリスは続ける。
「でも、お姉様が、手紙に書いてくれました。焦らず、自分が信じる道を選びなさいって」
胸元のペンダントが、ほんのり温かい。
「だから、あと残りの一年、この奇妙でおかしな不思議の国を楽しもうと思います」
ノアが、少し驚いたように瞬きをする。
「楽しむ?」
「はい」
アリスは頷いた。
「怖がってばかりいたら、きっと見落としてしまうものがあると思うんです。街のことも、花たちのことも、扉のことも」
そこで、声が少しだけ小さくなる。
「ノアのことも、もっと知りたいです。……少しずつでいいので」
ノアの赤い瞳が揺れた。
「僕のことも?」
「はい」
アリスは頷いた。
言ってから、少しだけ頬が熱くなる。
「だって、ノアはいつも、私のことばかり知っているみたいだから」
ノアはしばらく何も言わなかった。
窓から入る光が、彼の横顔をやわらかく照らしている。
「十五歳になった君は、強いね」
「昨日までと一日しか変わりません」
「その一日で、人は変わることがあるよ」
ノアは静かに言った。
「僕は知ってる」
アリスは、ノアの横顔を見つめた。
もしかしたら、ノアにもそんな一日があったのかもしれない。
たった一日で、何かが変わってしまった日。
それまでと同じ場所には、もう戻れなくなってしまった日。
何かを失ったのか。
何かを選んだのか。
誰かと一緒だったのか。
それとも、ひとりだったのか。
聞きたいのに、今はまだ聞けない。
白い髪が、窓から入る風に揺れる。赤い瞳は、アリスを見ているはずなのに、どこかもっと遠い場所を見ているようだった。
ノアが笑うと、嬉しい。
ノアが目を伏せると、苦しい。
ノアが隠し事をすると、知りたいと思う。
疑いたいからではない。
離れたいからでもない。
もっと近くで、この人の本当の顔を見たいと思ってしまうからだ。
その気持ちはまだ、言葉にした途端に壊れてしまいそうなほど、繊細だった。
朝露をすくった薄い硝子みたいに、少し触れただけで形を変えてしまいそうなのに、胸の奥で確かに淡く光っている。
アリスは小さく息を吸った。
「ノア」
「うん?」
「来年の誕生日も、祝ってくれますか?」
言ってから、アリスは少しだけ恥ずかしくなった。
でも取り消さなかった。
ノアは目を見開いた。
それから、今にも壊れそうなほどやわらかく笑った。
「もちろん」
その声は、少し震えていた。
「君が望むなら、よろこんで」
窓辺に差し込む光が、アリスの胸元の薔薇を淡く照らした。
十五歳の一年が、静かに始まった。
それはきっと、子どもでいられる最後の一年。
そして、アリスが自分の運命を、自分の手で選び始める一年だった。
*〜〜第一章 完〜〜*
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