荷物を全部下ろす日
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
文明崩壊後の世界を90式戦車に乗って見に行こう
本文
「では、車体を一度しっかり見ますので、積んでいる物は全部下ろしてもらえますか」
年上の陸自隊員が90式の脇でそう言うと、シオナたちは顔を見合わせた。
「全部ですか」
シオナが聞き返す。
「はい。車内も外部ラックも濡れ物箱も全部です。砲塔まわりの干渉確認もしたいですし、車体の内側も一度きれいに見たいので」
「それに」
別の隊員が89式の方から手を振って言った。
「皆さんもしばらく大湊にいるなら、荷物をいったん部屋に移した方が暮らしやすいでしょう。戦車の中から毎回探すより、その方がずっと楽です」
サヤがすぐにうなずいた。
「それはそうだね。毎回どこに何を押し込んだか思い出すの、ちょっと限界だったし」
ミズホも静かに同意した。
「整備のためにも、生活のためにも、一度整理した方がいいね」
シオナは90式を見上げた。
ここまでずっと、この車内と外部ラックと濡れ物箱だけで暮らしてきた。走るための車両なのに、途中からは寝床であり物置であり、更衣室であり、小さな家でもあった。
「……分かりました。下ろします」
そう答えると、若い隊員たちが手際よくブルーシートを何枚も広げ始めた。格納庫の床に長方形の区画ができ、台車と折りたたみコンテナも運び込まれる。
「生活用品はこのシート」
「整備関係はこっち」
「食品と水は別に分けてください」
「医療品は衛生科にも一度見せてもらえると助かります」
指示が飛ぶ。
サヤが小さく笑った。
「なんか引っ越しだね」
「引っ越しだよ、実際」
ミズホが袖をまくる。
「旅の車内生活から、基地の部屋暮らしに移るんだから」
最初に下ろしたのは、外から取り出しやすいものだった。
濡れ物箱から、長靴、雪かき用の手袋、替えの軍手、タオル類。外部ラックから、ロープ、折りたたみスコップ、ブラシ、バケツ、小さな工具箱、空いた水容器。
若い陸自隊員が長靴を並べながら、ぽつりと言った。
「長靴、多いですね」
サヤがすぐに返す。
「雪道入ってからは命綱だからね」
「あと濡れる」
「あと乾かない」
「あと片方だけ濡れても困る」
「最後のは分かるような分からないような」
その横で、ミズホは下ろした物を手際よく分けていく。
「濡れ物はこっち。洗えるものはまとめる。今日使う上着と靴下は部屋行き。基地に預けていい物は後で相談」
「了解」
サヤは返事だけはよかった。
だが次に車内から毛布や寝具が出てくると、さすがに少し驚いたように目を丸くした。
「うわ、こんなにあったっけ」
丸めた毛布、折りたたんだブランケット、タオルケット、替えのシーツ、クッション代わりにしていた布の束。寝る時に使っていた防寒具が次々と床に並んでいく。
シオナが一つ持ち上げた。
「これ、羽田のあとに増えたやつだ」
「こっちは大洗パークホテル」
「これ神町でもらった毛布じゃない」
「ほんとだ」
三人の前に、道中の夜が少しずつ形になっていく。
次は衣類だった。
普段着、防寒着、野良着、替えのズボン、下着、靴下、手袋、帽子、タオル。三人分が混ざりながらも、いつの間にかちゃんと分類されていく。
「これはシオナのだよね」
サヤが暗い色の上着を持ち上げる。
「たぶん」
「たぶんって」
「もう全部同じ色に見えてきた」
ミズホがすぐに見分ける。
「それはシオナ。袖口に自分で糸巻いてあるから」
「こっちはサヤ。ポケットに紙が入ってる」
「私はこれ」
「なんで分かるの」
「見てるから」
医療品を扱う手つきと同じ落ち着きで、ミズホは衣類まで分類していく。隊員たちも少し感心したように見ていた。
「生活班として優秀ですね」
年上の陸自隊員がそう言うと、サヤがすぐにミズホを指さした。
「班長はこの人です」
「勝手に班長にしないで」
そのあとは、食料と飲料だった。
缶詰、レトルト、カップ麺、乾き物、紙コップ、インスタントスープ、飴、小分けのお菓子、補水用品、そしてペットボトル水。スタバ跡で拾ったドリップバッグとスティックコーヒーも出てくる。
若い隊員が並べながら声を上げた。
「コーヒー、こんなに」
サヤが少し胸を張る。
「士気維持補給品です」
「誰の」
「みんなの」
シオナは苦笑した。
「でも助かったよ。吹雪で動けない日とか」
「だよね」
ミズホもそこは否定しなかった。
「温かい飲み物は、体にも気持ちにも効くから」
食料が一列に並ぶと、今度は本当に「暮らしてきた痕跡」になった。大湊の隊員たちにとっても、それは単なる補給品ではなく、三人がどれだけ計画的に、あるいはその場その場で工夫しながら生き延びてきたかを示す物になっていた。
続いて、工具と整備用品が出てくる。
スパナ、レンチ、ドライバー、ハンマー、ペンチ、結束バンド、養生テープ、ロープ、ウエス、ブラシ、小型ライト、予備電池。土浦、宇都宮、神町、秋田と通ってきただけあって、最初よりずっと実務的な中身になっている。
89式を整備していた隊員が、工具を見てうなずいた。
「これは旅しながら育った工具箱ですね」
「育つものなんですか」
シオナが聞くと、その隊員は笑った。
「育ちますよ。最初は最低限でも、困るたびに一つずつ増えていくので」
「それ、すごく分かる」
シオナは素直に答えた。
「最初は、動けばいいと思ってたんです。でも途中から、止まった時に困らないように、って考えるようになって」
「その変化がこの中身です」
隊員は小さな工具を一本持ち上げた。
「無茶した痕跡じゃなくて、備えた痕跡ですね」
それを聞いて、シオナは少しだけほっとした顔をした。
次に出てきたのは、通信と記録の物だった。
地図。筆記具。小さな紙片。連絡周波数のメモ。パンフレット。双眼鏡。トランシーバー。充電器。ケーブル。乾電池。そして、ミズホが自分で持っていた記録ノートとは別に、途中で挟み込んだ資料の束。
サヤが紙片を拾い上げる。
「これ、まだ持ってたんだ」
「なに」
「大洗のメモ。ミオが書いてくれたやつ」
ほんの一瞬、三人の手が止まった。
そこには水族館のこと、ホテルのこと、トランシーバーの時間のことが走り書きされていた。
ミズホが静かに言う。
「部屋に持っていこう。これは」
サヤはうなずいて、それだけは別に取り分けた。
最後に、衛生用品と医療品が下ろされる。
救急箱。消毒用品。包帯。ガーゼ。テープ。常備薬。マスク。手袋。ウェットティッシュ。歯ブラシや石鹸類。生理用品。整然と詰められた小箱やポーチがいくつも並ぶ。
衛生科の隊員が途中から合流してきて、中身を見て感心したように言った。
「かなりきれいに分けてありますね」
「青森でフェリーに渡した分と、野辺地病院に渡した分でだいぶ減ってますけど」
ミズホが説明する。
「それでも、三人分としては十分です。補充が必要なら、こちらで相談できます」
「ありがとうございます」
そこでいったん、全員の手が止まった。
ブルーシートの上には、三人の荷物がきれいに広がっていた。
長靴と手袋。寝具。衣類。食料。水。工具。衛生用品。通信機材。地図。ノート。細かな紙片。小さな私物。
そしてその奥に、90式がいる。
サヤが腰に手を当てて眺めた。
「……こんなに載せてたんだ」
若い陸自隊員も、同じような顔をしていた。
「本当に全部この中に」
「途中まで見えてなかっただけで、入ってたんだよね」
シオナは苦笑した。
「私も、こうやって並ぶと驚く」
「戦車っていうより」
89式の方にいた隊員が言う。
「小さな移動拠点ですね。生活、整備、衛生をまとめて積んで走ってた感じです」
「それだ」
サヤが指を鳴らす真似をした。
「私たち、三人旅っていうより、それだったんだ」
ミズホが少しだけ笑う。
「自覚なかったの」
「途中からはあった」
その後は、下ろした荷物をさらに三つに分けていく作業になった。
まず、三人の宿泊区画へ持っていく物。
今日からの生活に必要な衣類、洗面道具、寝具の一部、常備薬、記録ノート、地図、最低限の食料。
次に、90式の近くで預かってもらう物。
工具類、車両運用に関わる備品、清掃用品、予備の容器、ロープ類。
最後に、基地側と相談しながら保管する物。
多めの水、かさばる保存食、使わない寝具、予備衣類、今すぐは使わない物資。
台車に積み替えながら、サヤが何度も言う。
「これ、部屋まで何往復」
「数えない方がいい」
ミズホが即答した。
「数えると疲れるから」
「もう疲れた」
「まだ一番軽い往復だよ」
シオナは、最初の荷物として自分の簡易マニュアルと数枚の地図を抱えた。ミズホは記録ノートと医療ポーチを持つ。サヤはミオのメモと、日常使いの衣類を抱える。
三人そろって歩き出すと、格納庫の中に残った90式が少し大きく見えた。
荷物を降ろされ、外側からも中からも見られるために、そこで静かに待っている。
「なんか」
サヤが歩きながら言う。
「ほんとに家財道具運び出した感じだね」
「うん」
シオナも振り返った。
「でも、やっとちゃんと休ませられる気がする」
ミズホは少し先を歩きながら答えた。
「私たちもね」
その言葉に、二人は黙ってうなずいた。
旅の荷物を全部下ろすというのは、ただの整理ではなかった。
それは、ここまで積み重ねてきた日々を一度床に広げて見直すことだった。
そして同時に、次の暮らし方を決め直すことでもあった。
90式は整備へ。
三人は大湊での生活へ。
終わったわけではない。
けれど少なくともその日、三人は初めて「次の数日をここで過ごす」つもりで、自分たちの持ち物を部屋へ運び始めていた。
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