三人の部屋
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
文明崩壊後の世界を90式戦車に乗って見に行こう
本文
格納庫から宿泊区画までの通路を、台車がゆっくり進んでいった。
載っているのは、三人が90式から下ろした荷物だった。衣類を詰めた袋、毛布、洗面道具、医療ポーチ、地図の束、少しの食料、紙袋にまとめた細かい私物。大きな物資や工具は格納庫側で一時保管してもらうことになったが、それでも部屋へ運ぶ分だけで、台車一台では足りなかった。
サヤは台車の横を歩きながら、少し呆れた声を出した。
「これ、本当に私たち3人分?」
ミズホが後ろから、もう一つの袋を抱えて答えた。
「3人分と、旅の途中で増えた分」
「つまり増えすぎた分」
「必要だった分」
「その言い方ずるい」
シオナは前を歩きながら、胸に簡易マニュアルと地図を抱えていた。記録ノートはミズホが持っている。大洗のメモはサヤが自分の上着の内ポケットに入れていた。
案内の隊員が、宿泊区画の一室の前で止まった。
「こちらを使ってください。元は隊員用の空き部屋です。3人で使うには少し手狭かもしれませんが、寝具と収納は追加してあります」
扉が開く。
中は簡素な部屋だった。
ベッドが4つ。机が2つ。折りたたみ式の小さなテーブル。壁際のロッカー。隅には追加で置かれた収納箱。暖房は弱めだが、外の寒さを思えば十分だった。窓の外には基地の建物と、遠くに白く霞む海が見える。
サヤが部屋に入って、ぐるりと見回した。
「……広い」
ミズホが苦笑する。
「90式の中と比べたら、だいたい何でも広いよ」
「いや、でも広い。立って着替えられる。荷物を床に置いても怒られない。寝返りで誰かの肘が当たらない」
シオナはベッドの一つに、そっと簡易マニュアルを置いた。
「それだけで十分すぎるね」
隊員が台車の荷物を降ろすのを手伝ってくれた。大きな袋を床に置き、毛布をベッドの上へ。食料と水は一角にまとめ、医療品はミズホがすぐに机の上へ運んだ。
「追加で必要なものがあれば、当直に声をかけてください。洗濯は午後にまとめて案内します。風呂は時間が決まっていますが、今日は女性隊員の時間に合わせて入れるようにしてあります」
シオナが頭を下げる。
「ありがとうございます」
隊員が出ていくと、部屋の中に三人だけが残った。
しばらく、誰も動かなかった。
床に並ぶ袋。ベッドの上の毛布。机の上の記録ノート。ロッカー。窓。暖房の低い音。
サヤがぽつりと言った。
「部屋だ」
ミズホがうなずく。
「部屋だね」
シオナも小さく言った。
「戦車じゃない部屋」
その言い方が妙におかしくて、サヤが笑った。
「シオナ、それ普通は当たり前だから」
「でも、久しぶりで」
「まあね」
三人は、まず荷物を広げることにした。
床にシートを一枚敷き、その上に分類する。格納庫で大きく分けたとはいえ、部屋で暮らすにはもう少し細かく整理し直す必要があった。
ミズホが机の前に立ち、手際よく指示を出す。
「衣類はベッドごとに分ける。下着と靴下は各自の袋。濡れ物は洗濯行き。すぐ使う上着はロッカー。医療品はこの机。食料は窓際じゃなくて、暖房から離した壁側。水は下。記録類はこっち」
サヤが両手を上げた。
「班長、了解です」
「だから班長じゃない」
「じゃあ何?」
「……整理係」
「それは班長では?」
シオナは袋から衣類を取り出しながら笑った。
荷物を出していくと、部屋の中にまた旅の欠片が現れた。
熱塩共同区でもらった野良着。泥が落ち切っていない長靴。神町で受け取った軍手。にかほで濡らした防寒手袋。浅虫で使ったタオル。大館のホテルで持ち出したわけではなく、備品棚に「使ってよし」と残されていた古い布袋。
サヤが一枚の手袋を持ち上げた。
「あ、これ片方だけ行方不明だったやつ」
ミズホがすぐに言う。
「もう片方は濡れ物箱にあった。洗濯行き」
「再会だ」
「感動の再会をしたところで洗濯行き」
「厳しい」
衣類を分けた後、寝具を整えた。
3つのベッドに、毛布と持ち込んだブランケットを置いていく。余った寝具は収納箱へ。すぐ使わないものは畳んで上に紙を貼る。
「冬用」
「予備」
「洗濯待ち」
「これは誰のか後で確認」
最後の紙を見て、シオナが首をかしげた。
「誰のか分からない箱、いる?」
ミズホが真顔で答える。
「いる。今決めようとすると揉める」
サヤが即座に言った。
「その箱、たぶん私のが多い」
「自覚あるんだ」
「少し」
次に、医療品を整理した。
ミズホは机の上に白いタオルを敷き、ポーチや箱を並べる。薬は用途別に分ける。解熱薬、胃腸薬、咳止め、消毒用品、ガーゼ、包帯、手袋、マスク、補水用品。青森港のフェリーと野辺地病院に渡した後なので量は減っていたが、それでも三人がしばらく暮らすには十分だった。
サヤが横からのぞき込む。
「これ、まだ結構あるね」
「三人用としてはね。誰かを助けるには少ない。でも私たちが体調を崩した時に初動を取るには足りる」
シオナが少し小さな声で言った。
「青森で熱出した時も、これがあったから助かった」
ミズホは手を止めずに答えた。
「だから、これだけは雑にしない」
「うん」
医療品の隣に、記録ノートが置かれた。
ミズホはノートを開かず、表紙を軽く撫でた。会議室で写しを取られた後、きちんと返されたものだった。紙の端は少し温かさを失っていたが、いつもの重みが戻っていた。
「コピーされると、ちょっと変な感じだった」
サヤが聞いた。
「嫌だった?」
「嫌じゃない。でも、私たちだけのものじゃなくなった感じがした」
シオナはベッドに腰かけた。
「でも、それが必要なんだよね」
「うん」
ミズホは記録ノートを閉じた。
「私たちが迷子にならないために書いてたものが、誰かが迷子にならないためにも使われるなら、それでいい」
サヤは少し黙ってから、自分の上着の内ポケットから大洗のメモを出した。
「これも、記録の仲間かな」
ミオの字で書かれたメモだった。水族館。ホテル。トランシーバーの時間。餌のこと。短い言葉ばかりだが、サヤにはその一枚がとても大きく見えていた。
ミズホは机の引き出しを一つ開けた。
「そこに入れよう。記録ノートと一緒にしておく?」
サヤは少し考えた。
「ううん。これは私が持ってる。なくしたら嫌だから」
「分かった」
サヤはメモを丁寧に畳み直し、小さな袋に入れて、自分のベッド横の棚にしまった。
次は食料だった。
大きく残してきた保存食は格納庫側の一時保管になったが、部屋には数日分の軽いものだけを持ち込んでいる。カップ麺、スープ、ビスケット、飴、ドリップバッグ、スティックコーヒー、紙コップ。水は数本だけ。
サヤがコーヒーの袋を持ち上げる。
「これは?」
シオナが言う。
「共同」
ミズホも言う。
「共同」
サヤはうなずいた。
「士気維持補給品、共同管理」
「食べ物より偉そうだね」
「実際偉いよ。吹雪の日にこれがあるとないとでは違う」
シオナは窓の外を見た。
吹雪のにかほ。雪に埋もれた道の駅。青森市のホテル。発熱した朝。
温かい飲み物があった夜は、確かに少しだけ人間らしくいられた。
整理は午後近くまでかかった。
三人のロッカーには、それぞれの衣類が収まった。机の一つはミズホの医療と記録の場所になり、もう一つは地図と食料の仮置き場になった。床にはまだいくつかの袋が残っていたが、少なくとも何がどこにあるかは分かる状態になった。
サヤはベッドに倒れ込んだ。
「終わった」
ミズホが即座に言う。
「まだ終わってない。洗濯物を出す」
「今のは第一部完って意味」
「第二部、洗濯物」
「厳しい」
シオナは自分のベッドの上に置いた簡易マニュアルを見た。
あれは格納庫に置いておくこともできた。けれど、どうしても部屋に持ってきたかった。
最初に90式を動かした時、その薄い冊子だけが頼りだった。今では陸自隊員たちが車体を見てくれている。けれど、あの始まりだけは、自分の手元に置いておきたかった。
ミズホはその視線に気づいた。
「それ、机に置く?」
「ううん。ベッドの横に置く」
サヤが横になったまま顔だけ向ける。
「お守りみたい」
シオナは少し笑った。
「そうかも」
外では、基地の車両が動く音がした。遠くで誰かが号令をかけている。格納庫では、90式の点検が始まっている頃だった。
三人は、初めて90式から離れた部屋で、自分たちの荷物を自分たちの場所にしまっていた。
それはほんの小さな変化だった。
けれど、これまで移動することでしか生き延びられなかった三人にとって、荷物を棚に入れることは、次の朝もここにいると決めることに近かった。
サヤが天井を見ながら言った。
「なんか、変な感じ。明日もここにいるんだよね」
ミズホは洗濯物の袋を結びながら答えた。
「たぶんね」
シオナは窓の外の海を見た。
「90式が戻ってくるまでは、少なくとも」
「戻ってきたら?」
サヤが聞いた。
シオナは少し考えた。
「その時、また考える」
ミズホがうなずいた。
「今は、部屋を作るところから」
サヤは目を閉じた。
「じゃあ、今日のところは、ここが私たちの部屋」
誰も否定しなかった。
暖房の低い音が、部屋の中に静かに続いていた。
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