欠けた英雄のリスタート
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
キャッチコピー ――失った英雄は、欠けたままの心で本物の仲間を掴む。 作品紹介文 かつて最強と呼ばれたギルドの中心人物、レオン・アストリア。 攻略の要として仲間から絶大な信頼を寄せられていた彼は、しかしある日、全てを失う。 親友だと思っていたギルドマスター・カイルの裏切り。 恋人だと信じていたエリナの正体は、最初からカイルの恋人であり、レオンを陥れるためだけに近づいた存在だった。 偽りの証拠によってギルドを追放され、誰にも信じてもらえないまま孤立したレオンは、全てを断ち切るようにゲームアカウントの売却手続きを進める。だがその瞬間、世界そのものが姿を変えた。 ゲームは、現実になっていた。 かつてNPCと呼ばれていた者たちは、この世界では本物の人間として生きている。そして厄介なことに、世界の九割を占めるその人々は、レオンが「裏切った側」だという歪んだ噂を、既に耳にしていた。 証拠のない噂には動じない冒険者ギルド。 噂を真実だと信じ込む、同じく転移してきた元プレイヤーたち。 真偽の定まらないこの世界で、レオンは証明する術もないまま、ただ一人、剣を握り直す。 しかし、彼を待っていたのは敵意だけではなかった。 かつて誰も見向きもしなかった依頼を、黙々とこなしていたレオンを覚えていた村娘。 噂ではなく、目の前の行動だけでレオンを判断する、孤独な天才魔法使い。 豪快な戦士と、お調子者の盗賊。 そして――エルフの姫でありながら、身分の重さに縛られず、まっすぐにレオンへ問いかける少女、リリア。 「あなたは、何のために戦ってるの?」 「――復讐のためだ」 「じゃあ、復讐が終わったら?」 答えられないまま、レオンは新しい仲間たちと共に、少しずつ、失っていたはずの自分を取り戻していく。 困っている人を放っておけない、お人好しな性分。 天然故に巻き起こる、数々の予期せぬ出来事。 かつての彼を知る者たちが「変わっていない」と笑うその姿は、裏切りによって塗り込められていた、本来のレオンそのものだった。 だが、この物語はただの再生譚では終わらない。 リリアとの関係が深まるほど、レオンの中には新しい影が差し始める。 人間とエルフ、決定的に異なる時間の長さ。この世界に生きる誰もが、形を変えて向き合わざるを得ない、寿命という避けられない摂理。 そして、静かに進行する、かつての裏切り者たちの影。 カイルとエリナもまた、この世界に転移していた。 元プレイヤーたちを扇動し、支配的な勢力を築きつつある二人と、レオンたちは、いずれ再び対峙することになる。 証拠を積み上げる冒険者ギルドの支部長イリス・ヴァンダール。 噂に振り回されない、事実だけを見る彼女の存在が、レオンの潔白を静かに、しかし確実に照らし始める。 復讐の果てに何があるのか。 欠けたままの心で、人は本当に、誰かを信じ直せるのか。 痛快な冒険活劇と、じわりと沁みる再生の物語。 そして、笑いと温もりに満ちた、不完全な者たちの絆の物語。 『欠けた英雄のリスタート』、開幕です。
本文
第6話「本物の村」
どれくらい歩き続けたのか、レオンにはもう分からなくなっていた。
草原を抜け、緩やかな丘を越え、また草原に戻る。方角も定かではないまま、ただ足だけを前に運び続けた。喉の渇きはとうに限界を越え、空腹感はいつしか感覚として麻痺していた。
それでも、立ち止まる理由がなかった。立ち止まれば、考えてしまう。考えれば、あの広間の光景が、また瞼の裏に蘇る。だから、歩き続けた。
丘を一つ越えたところで、遠くに煙が見えた。
細く、まっすぐに立ち昇る炊煙。人の営みがそこにある証だった。
レオンは最後の力を振り絞るように、その方角へ足を向けた。
村の輪郭が見えてきた頃、レオンの耳に、様々な音が届き始めた。
井戸端で誰かが洗濯をしている、水を叩く音。二人の女がそこで何事か話し込み、時折笑い声を上げる。庭先で子供たちが走り回り、甲高い声で何かを叫び合っている。誰かが薪を割る、規則正しい音。
その全てが、レオンの記憶にある「村」の音と、決定的に違っていた。
ゲームの中で見てきたNPCの村は、決まった時間に決まった台詞を発し、決まった動線を歩くだけの背景だった。洗濯の仕草も、会話の抑揚も、どこか作り物めいた滑らかさがあった。
だが今、耳に届く音には、そのどれもが持っていた。無駄な間があり、言い淀みがあり、笑い声の高さも低さも、一つとして同じものがなかった。
(――生きている)
その事実が、疲労で鈍った頭に、じわりと染み込んでいった。
だが、その驚きを噛み締める余裕は、長くは続かなかった。
視界が、揺れた。
足元の感覚が、急速に遠のいていく。膝から力が抜け、レオンはその場に崩れ落ちた。
誰かの声が、遠くから聞こえた気がした。
「――ちょっと、大丈夫!? しっかりして!」
肩を強く揺すられる感覚。レオンは重い瞼を、なんとかこじ開けた。
目に映ったのは、日に焼けた頬に、まっすぐな瞳を持つ娘の顔だった。腰には薬草を入れた籠を提げている。心配そうに眉を寄せたその表情に、レオンは見覚えがある気がした。
「――ノア、なのか」
思わず漏れた名前に、娘――ノアは大きく目を見開いた。
「え……? わたしのこと、知って……」
言いかけて、ノアはハッとしたように息を呑んだ。まじまじとレオンの顔を見つめ、記憶を辿るような沈黙が数秒続いた。
「――まさか、あなた」
その声には、驚きと、確信が入り混じっていた。
「毒沼の……あの時の」
レオンの記憶の奥底で、埃を被っていた光景が、ゆっくりと像を結んでいく。
まだギルドに入る前、駆け出しの頃だった。誰も受けたがらない、報酬の見合わない依頼――毒沼に生える貴重な薬草の採取。危険度の割に見返りが少なく、誰もが敬遠していたその依頼を、レオンだけが黙々とこなした。当時は誰かに褒められたくてやったわけではなく、ただ、放っておけなかっただけだった。
その薬草を心待ちにしていたのが、村で薬師の見習いをしていた、まだ幼さの残る娘――目の前のノアだった。
「――覚えてる。あの時の、村の子か」
「はい……! まさか、また会えるなんて」
ノアの瞳に、涙が滲んだ。だがそれを堪えるように、彼女はすぐに表情を引き締めた。
「立てますか? とにかく、うちに来てください。話は、その後で」
ノアの家は、村の外れにある小さな一軒家だった。薬草の匂いが染み付いた居間に運び込まれ、レオンは古びた寝台に横たえられた。
ノアはてきぱきと湯を沸かし、乾いた布で汗を拭い、水を含ませた布を額に乗せる。その所作の一つ一つに、迷いがなかった。
「あの時の恩、ずっと返したいと思ってました」
ノアは布を絞りながら、独り言のように呟いた。
「あの薬草がなかったら、村の何人かは死んでいたと思います。誰も見向きもしなかった依頼を、あなたは黙って受けてくれた」
レオンは、その言葉を、どこか遠い場所で聞いているような感覚だった。
「……礼を言われるようなことじゃない。放っておけなかっただけだ」
「それが、優しいってことだと思います」
ノアの声は、飾り気がなく、まっすぐだった。
レオンは、天井を見上げながら、ふとノアの一挙一動を目で追った。布を絞る手の力加減、湯呑みを差し出す時のわずかな躊躇い、心配そうに寄せられる眉間の皺。
ゲームのNPCには、こうした「揺らぎ」がなかった。決まった動作、決まった表情。だがノアの一つ一つの仕草には、迷いも、感情の起伏も、確かに存在していた。
(――お前は、本当に、生きていたのか)
言葉にはしなかった。ただ、目の前の光景が、これまでの自分の常識を静かに塗り替えていくのを、レオンは感じていた。
夕方近くになり、レオンの体力は幾分か回復した。ノアが夕餉の支度をする間、レオンは寝台に身を起こし、窓の外を眺めていた。
「無理しないでください。まだ本調子じゃないでしょう」
ノアが振り返り、湯気の立つ椀を運んでくる。距離を詰め、レオンの口元に匙を運ぼうとした瞬間、彼女の袖が寝台の縁に引っかかり、体勢が崩れた。
「――きゃっ!」
バランスを崩したノアが、そのままレオンの胸元に倒れ込む。近づいた頬、触れた指先、驚いたように見開かれた瞳。
「ご、ごめんなさい……!」
ノアは真っ赤になって飛び退いた。レオンも思わず気まずさに視線を逸らす。
「い、いや、俺の方こそ」
「わ、わたし、そんなつもりじゃ……!」
しどろもどろになるノアの姿に、レオンは思わず小さく笑ってしまった。裏切りの後、久しく忘れていた種類の、他愛のない可笑しさだった。
「別に、責めてない」
「うう……」
ノアは顔を伏せたまま、それでも椀を差し出す手だけは止めなかった。その不器用な優しさに、レオンは静かに礼を言った。
夜が更け、ノアが「今日はゆっくり休んでください」と部屋を出ていった後、レオンは一人、窓辺で沈んでいく夕陽を眺めていた。
橙色の光が、部屋の壁をゆっくりと染めていく。
(この世界は――思っていたものと、違うのかもしれない)
NPCが本物の人間として生きている。噂ではなく、実際に受けた恩を、時間をかけてでも返そうとする者がいる。それは、レオンがこれまで生きてきた世界の常識とは、明らかに異なる何かだった。
だが、その違和感を、まだどう受け止めればいいのか分からなかった。
瞼が重くなっていく。疲労が、思考をゆっくりと押し流していく。
最後に浮かんだのは、ノアの、飾り気のないまっすぐな瞳だった。
レオンは、静かに眠りに落ちていった。
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