まだ白紙の僕らへ
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
二十八歳、大学中退。仕事も長続きせず、恋愛もうまくいかなかった。 「このままじゃダメだ」 そう思った松澤柚葉は、二年制のデザイン系専門学校への入学を決める。 周囲は十代ばかり。自分の年齢を気にしながら始まった学生生活で出会ったのは、今回が最後の挑戦だという二十五歳の榊原遥斗と、幼い頃から数々の賞を受賞してきた、圧倒的な絵の才能を持つ十九歳の飯村ミオだった。 優しい線を描く柚葉。 丁寧な線を重ねる遥斗。 そして、感情をそのままぶつけるような線を描くミオ。 年齢も、才能も、抱えているものも違う三人。 夢を追うには遅すぎるのか。 才能がなければ諦めるしかないのか。 才能があれば幸せになれるのか。 それぞれの不安を抱えながら、三人は少しずつ互いの人生に触れ、支え合い、自分だけの「描き方」を見つけていく。 まだ何者でもない。 未来だって決まっていない。 だからこそ、何度だって描き直せる。 これは、人生の途中で立ち止まった三人が、真っ白なキャンバスにもう一度未来を描き始める、二年間の青春群像劇。 『まだ白紙の僕らへ』 ――その白紙に何を描くのかを決めるのは、いつだって自分自身だ。
本文
第13話「近づくほど遠くなる」
文化祭まで残り三週間を切った。
放課後になると校舎のあちこちから作業の音が聞こえるようになり、普段なら授業が終わると静かになる実習室にも夜まで明かりが残っていた。
柚葉たちの作品も少しずつ完成へ近づいている。
四人で決めたテーマは『居場所』。
一枚の大きな作品の中へ四人がそれぞれ違うものを描き、それを最後に一つの景色へまとめる。
最初は本当にまとまるのか不安だった。
描き方も違えば色の使い方も違う。見ているものも違う四人の絵を一枚へ入れれば散らかるだけなのではないかと遥斗は心配していた。
けれど不思議なもので、描き進めるほど作品は少しずつ一つになっていった。
柚葉が描いた暖かな光の上へミオが淡い色を重ね、その先へ遥斗が道を描く。
玲奈がそこへ人を置くことで、それまでただの景色だった場所に誰かの生活が生まれる。
誰か一人の作品ではない。
四人のうち一人でも欠ければ今とは違うものになる。
柚葉はそのことが嬉しかった。
「いい感じじゃない?」
少し離れた場所から作品全体を眺めながら柚葉が言った。
筆を持ったまま遥斗も数歩下がる。
「最初よりかなりまとまりましたね」
「でしょ?」
「柚葉さんが自分の手柄みたいに言うの違いません?」
「最初に三人でやろうって言ったの私だから」
「途中から四人ですけど」
玲奈が笑う。
「じゃあ私は後から乗っかっただけだね」
「そんなことないよ」
柚葉はすぐに答えた。
「玲奈いなかったら人のところ全然違ってたと思うし」
「ほんと?」
「うん。私人物苦手だもん」
「理由それ?」
「大事だよ」
玲奈が笑った。
少し離れたところで二人の会話を聞いていたミオは何も言わず色を作っていた。
この一週間で玲奈はさらに三人の中へ馴染んでいた。
柚葉とはもう以前からの友人のように話している。
遥斗とも自然に会話をする。
ミオとも以前ほど距離はない。
何より二人の間には今、柚葉と遥斗の知らない秘密がある。
ミオの過去。
玲奈は約束通り何も言わなかった。
それ以来一度も無理に聞いてこない。
だからミオも以前ほど玲奈を警戒しなくなっていた。
それでも時々ふと思う。
四人になった。
ただそれだけのはずなのに、三人だった頃と同じではない。
悪い変化ではない。
むしろ楽しい時間は増えている。
それなのに胸のどこかに小さな違和感だけが残っていた。
「ミオ」
柚葉の声で我に返る。
「何ですか」
「その色もうちょい明るくできる?」
ミオは作品を見る。
「ここですか」
「うん。玲奈が描いた人の周り」
「今のままだと少し沈みますね」
「でしょ?」
ミオは白を少し足して色を作り直した。
その様子を玲奈が横から見ている。
「やっぱ色作るの上手いね」
「そうですか」
「その色どうやって決めてるの?」
「見ながらです」
「それ答えになってない」
玲奈が笑った。
「感覚?」
ミオは少し考える。
「多分」
「羨ましい」
「玲奈さんの方が人物上手いじゃないですか」
「でも色は苦手」
「そうなんですか」
「塗り始めると迷う」
玲奈はミオの作った色を見る。
「こういうの私には出せないな」
昔なら。
そう言われた瞬間に少しだけ身構えていたかもしれない。
上手い。
才能がある。
羨ましい。
そんな言葉のあとにはいつも何かを求められる気がしていた。
けれど今は以前ほど苦しくない。
「じゃあ今度教えます」
口にしたあとでミオ自身が少し驚いた。
玲奈も一瞬目を丸くする。
「いいの?」
「私でよければ」
「教えて」
玲奈は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見てミオもほんの少しだけ笑う。
「珍しい」
突然柚葉が言った。
二人が同時に振り返る。
「何が?」
玲奈が聞く。
「ミオが自分から教えるって言った」
「別に普通です」
「普通じゃないよ。私が聞くと大体嫌って言うじゃん」
「柚葉さんは聞き方が雑なので」
「差別」
「区別です」
玲奈が吹き出した。
遥斗も笑う。
柚葉だけが納得していない。
そんな四人の様子を見ながら、ミオは少しだけ思った。
これなら。
四人でもいいのかもしれない。
作業が一区切りついた頃には外が暗くなり始めていた。
「休憩しよう」
柚葉は筆を置くなり椅子へ深く座った。
「今日柚葉さん一番休憩してません?」
遥斗が言う。
「気のせい」
「さっきも十分くらい休んでたよ」
玲奈まで加わる。
「二対一やめて」
「三対一です」
ミオが静かに言った。
柚葉が振り返る。
「ミオまで!?」
三人が笑った。
「飲み物買いに行ってくる」
柚葉は逃げるように立ち上がった。
「私も行く」
玲奈も椅子から立つ。
柚葉は遥斗を見る。
「遥斗何飲む?」
「コーヒーお願いします」
「ミオは?」
「今日は紅茶で」
「了解」
二人が実習室を出る。
扉が閉まると急に静かになった。
遥斗は作品の前へ立ち、少し離れて全体を見る。
ミオは使った筆を水へ入れた。
しばらく二人とも何も話さなかった。
「小宮さん」
ミオが呼ぶ。
「はい?」
「最近」
そこで一度言葉を止める。
遥斗がミオを見る。
「何ですか」
「……何でもないです」
「それ一番気になるやつですよ」
「忘れてください」
「柚葉さんみたいなこと言いますけど無理です」
ミオは少し困った。
聞こうと思った。
柚葉のことが好きなのか。
夏祭りの日からずっと気になっている。
けれど聞いたところでどうするのか自分でも分からない。
もし遥斗が好きだと言ったら。
自分は何を言うのだろう。
応援するのか。
やめてほしいと言うのか。
どちらも違う気がした。
だから結局何も言えなかった。
「文化祭のことです」
ミオは適当に誤魔化した。
「間に合うかなと思って」
遥斗は少し疑うように見たものの、それ以上追わなかった。
「多分大丈夫ですよ」
もう一度作品を見る。
「四人いるし」
その一言を聞いてミオも作品へ目を向けた。
四人。
夏までは三人だった。
今は四人。
当たり前のように遥斗がそう言ったことが、少しだけ胸に残った。
一方その頃。
飲み物を買いに向かった柚葉と玲奈は階段を下りていた。
「遥斗ってさ」
玲奈が突然言った。
柚葉が振り返る。
「ん?」
「彼女いるの?」
あまりにも自然な質問だったので柚葉は特に何も考えなかった。
「いないと思うよ」
「思う?」
「聞いたことないから」
「好きな人は?」
「知らない」
玲奈は少し笑った。
「そこは知らないんだ」
「何で?」
「仲いいじゃん」
「仲良くても全部知ってるわけじゃないし」
柚葉はそう言って階段を下りる。
玲奈は少しだけその横顔を見た。
「柚葉は?」
「何が?」
「好きな人」
今度は柚葉の足が少しだけ止まった。
「いないよ」
返事は早かった。
玲奈はその答えに少し驚く。
「ほんと?」
「ほんと」
「遥斗は?」
柚葉が玲奈を見る。
「遥斗?」
「うん」
「友達だけど」
それ以上でもそれ以下でもない。
そんな答え方だった。
玲奈は何となく分かった。
柚葉は本当に遥斗をそういう目では見ていない。
少なくとも今は。
それに対して何を思ったのか玲奈自身にもまだ分からなかった。
「なんで急にそんなこと聞くの?」
柚葉が笑う。
玲奈は少し考えてから肩をすくめた。
「なんとなく」
「怪しい」
「何が?」
「玲奈もしかして遥斗気になってる?」
今度は玲奈が止まった。
「は?」
「だって遥斗の彼女いるか聞いたじゃん」
「そういう意味じゃ」
言いかけて。
少し考える。
文化祭の準備を始めてから遥斗と話す時間は増えた。
優しい。
誰かが困っていれば自然に手伝う。
柚葉とミオが言い合っていると大体笑いながら間に入る。
自分が三人の中へ入ったときも特別扱いせず、最初から普通に接してくれた。
「……どうだろ」
自分でも意外な言葉が出た。
柚葉の目が少し大きくなる。
「え」
「まだ分かんない」
「え、待って」
柚葉が玲奈の前へ回り込む。
「ほんとに?」
「何その顔」
「だって」
柚葉は急に楽しそうになった。
「そういう話初めてじゃん」
「声大きい」
「ごめん」
柚葉は少し声を落としたものの顔は完全に笑っている。
「玲奈、遥斗好きになるかもしれないってこと?」
「だから分かんないって」
「でも気になる?」
玲奈は困ったように笑う。
「柚葉こういう話好きなの?」
「結構好き」
「自分はいないくせに?」
「人のは楽しい」
「最悪」
二人で笑った。
玲奈は自動販売機へ小銭を入れながら、心の中でもう一度遥斗のことを考えた。
恋愛感情なのかはまだ分からない。
ただ気になる。
それだけは本当だった。
実習室へ戻ると遥斗とミオは作品の前で話をしていた。
「何話してるの?」
柚葉が聞く。
「文化祭の進み具合です」
遥斗が答える。
「ほんと?」
「何で疑うんですか」
柚葉はコーヒーを遥斗へ渡す。
「はい」
「ありがとうございます」
何でもないやり取り。
玲奈はその二人を見た。
さっきまでなら何も思わなかったはずなのに、一度意識してしまうと少し違って見える。
遥斗が笑う。
柚葉がその隣で笑う。
二人の距離は近い。
それが仲の良さによるものなのか、それとも別のものなのか。
玲奈にはまだ分からなかった。
ただ。
少しだけ。
面白くない。
そんな感情が胸の奥に生まれた。
「玲奈?」
柚葉が呼ぶ。
「何?」
「紅茶ミオに渡して」
玲奈は我に返った。
「ああ」
ミオへ紅茶を渡す。
「ありがとう」
ミオは受け取って蓋を開ける。
そして。
玲奈の視線が遥斗へ向いていたことに気づいた。
一瞬。
二人の目が合う。
玲奈はすぐに目を逸らした。
ミオは何も言わない。
でも。
何となく分かった。
玲奈も。
遥斗を見始めている。
そこから数日。
四人の関係は少しずつ形を変えていった。
玲奈が遥斗へ話しかける回数が増えた。
最初は文化祭の相談。
「ここの構図どう思う?」
「いいと思いますけど少し右じゃないですか」
「じゃあ直す」
それだけだった。
次は授業のこと。
「遥斗、次の課題どこまでやった?」
「半分くらいです」
「見せて」
「参考にするだけですよ」
「分かってる」
そしていつの間にか文化祭とは関係のない話も増えていった。
好きな音楽。
休日に何をしているのか。
どんな店へ行くのか。
遥斗は特に気にする様子もなく普通に答える。
柚葉はその様子を見るたび少し楽しそうだった。
玲奈が遥斗を本当に好きになるかもしれない。
そう思うと面白かった。
二人が付き合ったらどうなるだろう。
四人で出かけるとき少し気まずくなるだろうか。
そんなことまで勝手に想像していた。
ミオだけは。
少しずつ不安になっていた。
昼休み。
いつもの四人で食事をしていると玲奈が遥斗へ言った。
「今日帰り暇?」
遥斗が顔を上げる。
「今日ですか?」
「画材見に行きたいんだけど付き合ってくれない?」
柚葉の目がわずかに輝く。
遥斗は気づかない。
「俺でいいんですか?」
「いいよ」
「じゃあ行きます」
「ほんと? ありがとう」
あっさり決まった。
柚葉は笑いを堪えながら玲奈を見る。
玲奈はその視線に気づいて小さく睨んだ。
ミオは黙っていた。
「柚葉さん?」
遥斗が聞く。
「何でニヤニヤしてるんですか」
「してないよ」
「してます」
「気のせい」
「絶対何かありますよね」
「ないない」
柚葉は楽しそうだった。
遥斗と玲奈が二人で出かける。
それを見ても何も思っていない。
本当に。
何も。
ミオはそのことを確かめるように柚葉の横顔を見ていた。
夏祭りの日。
遥斗はあんな目で柚葉を見ていた。
でも柚葉は知らない。
そして今。
玲奈は遥斗を見始めている。
遥斗はそれにも気づいていない。
何も知らない三人の間で。
自分だけが。
全部に気づいている。
「……面倒」
思わず小さく呟いた。
「何が?」
柚葉が聞く。
「何でもないです」
「最近ミオそれ多くない?」
「柚葉さんのせいです」
「何で私?」
「何となく」
「理不尽」
遥斗が笑った。
玲奈も笑う。
ミオも少しだけ笑った。
でも胸の奥にある不安だけは消えなかった。
放課後。
柚葉とミオは二人で駅へ向かっていた。
遥斗と玲奈は画材屋へ行った。
四人になってから二人だけで帰るのは久しぶりだった。
「なんか懐かしいね」
柚葉が言う。
「何がですか」
「二人で帰るの」
「そうですね」
春にはよく二人で歩いた道だった。
夏になって遥斗が自然に加わり。
秋になって玲奈が加わった。
人が一人ずつ増えていった。
「玲奈と遥斗どうなるかな」
柚葉が楽しそうに言う。
ミオは少しだけ顔を向ける。
「付き合えばいいと思ってるんですか」
「別にそこまでは」
「でも楽しそうですね」
「だって玲奈が遥斗気になるかもって」
ミオの足が止まりかけた。
「本人が言ったんですか」
「うん」
柚葉はすぐに口元を押さえた。
「あ」
「……」
「これ秘密だったかも」
「もう聞きました」
「忘れて」
「無理です」
今度はミオが言った。
柚葉が苦笑する。
「ミオに言われると腹立つね」
少し歩いて。
ミオは聞いた。
「柚葉さんはいいんですか」
「何が?」
「小宮さんと玲奈さんが付き合っても」
柚葉は不思議そうな顔をした。
「いいも何も二人が好きならいいんじゃない?」
迷いはなかった。
「寂しくないですか」
「なんで?」
「三人だったので」
柚葉は少しだけ考えた。
「変わるかもしれないけどさ」
前を見る。
「遥斗が玲奈と付き合ったからって遥斗じゃなくなるわけじゃないし、玲奈がいなくなるわけでもないでしょ」
「……そうですけど」
「ミオもいるし」
柚葉は簡単に言った。
「四人でいればいいじゃん」
ミオは何も言えなかった。
柚葉らしい答えだった。
きっと本当にそう思っている。
関係が変わっても、大切な人がいなくなるわけではない。
でも。
本当にそんなに簡単なのだろうか。
ミオにはまだ分からなかった。
「それに」
柚葉が続ける。
「玲奈が来てよかったと思うよ」
ミオが見る。
「前より賑やかになったし」
「そうですね」
「ミオも玲奈と仲良くなったじゃん」
「仲良いかは分かりません」
「秘密まであるくせに」
「まだ気にしてるんですか」
「気になるよ」
「言いません」
「ケチ」
二人は笑った。
しばらく歩く。
秋の夕日は夏よりもずっと低くなっていた。
道の端には長い影が伸びている。
今日は二つ。
「ミオ」
「はい」
「何か心配してる?」
突然聞かれた。
ミオの足が少しだけ止まる。
「何でですか」
「なんとなく」
柚葉は前を向いたまま続けた。
「最近ちょっと考えてる顔多いから」
見ていた。
遥斗のこと。
玲奈のこと。
四人のこと。
全部。
でも。
それを話せば何かを変えてしまう気がした。
「……文化祭のことです」
「ほんと?」
「はい」
「ならいいけど」
柚葉はそれ以上聞かなかった。
春から変わらない。
聞いてほしくないときは踏み込まない。
その優しさが。
今は少しだけ苦しかった。
その頃。
玲奈と遥斗は駅から少し離れた画材店にいた。
「これどう思う?」
玲奈が一本の筆を持ち上げる。
「いいんじゃないですか」
「さっきから全部それじゃん」
「筆詳しくないんですよ」
「じゃあ何でついてきたの」
「玲奈さんが誘ったからですよ」
遥斗が笑う。
玲奈も笑った。
「確かに」
二人で店の中を歩く。
特別なことは何もない。
それでも玲奈は少しだけ楽しかった。
柚葉もミオもいない。
初めて遥斗と二人。
それだけで普段とは違って感じる。
会計を終えて外へ出ると空はもう薄暗かった。
「ありがとう」
玲奈が言う。
「何がですか」
「付き合ってくれて」
「暇だったので」
「そういう言い方するんだ」
「ミオさんっぽかったですか」
玲奈は笑った。
「ちょっと」
そして少し歩いてから聞いた。
「遥斗って好きな人いる?」
遥斗の足が止まった。
玲奈はすぐに気づく。
「あ」
沈黙。
遥斗の表情。
それだけで。
答えを聞く前に分かった気がした。
「……いるんだ」
遥斗は否定しなかった。
少しだけ困ったように笑う。
「まあ」
玲奈の胸が少し痛んだ。
まだ好きだと確信していたわけではない。
それでも。
思っていたより。
痛かった。
「誰?」
聞いた。
遥斗は答えなかった。
答えなくても玲奈には分かり始めていた。
文化祭の準備中も。
昼休みも。
帰り道も。
遥斗の視線は時々一人へ向いている。
柚葉。
「……柚葉?」
遥斗が玲奈を見る。
その一瞬が答えだった。
玲奈は少しだけ笑った。
「やっぱり」
遥斗は何も言えない。
「本人には?」
「言ってません」
「言うの?」
「分かりません」
「何それ」
「今のままでいたいので」
玲奈はその言葉を聞いて少しだけ目を伏せた。
今のままでいたい。
三人の関係を壊したくない。
遥斗も。
きっとミオも。
同じことを考えている。
「そっか」
玲奈はそれだけ答えた。
帰り道。
玲奈は遥斗の少し前を歩いた。
さっきまで楽しかったはずなのに。
今は胸の奥に何かが残っている。
悔しい。
そう思った。
柚葉が嫌いなわけではない。
むしろ好きだった。
話しやすくて優しくて、三人だった場所へ自分を何の迷いもなく入れてくれた。
だから余計に。
悔しい。
何も知らない柚葉が。
遥斗の一番近くにいることが。
「玲奈さん」
後ろから呼ばれる。
「何?」
「今日のこと」
遥斗は少し迷った。
「柚葉さんには言わないでください」
玲奈は振り返った。
「ミオにも?」
「できれば」
玲奈は一瞬だけ考えた。
ミオならもう知っている気がした。
でも言わなかった。
「分かった」
笑って答える。
「言わない」
遥斗は安心したように息を吐いた。
「ありがとうございます」
玲奈はまた前を向いた。
これで。
玲奈にも秘密が一つ増えた。
ミオの過去。
遥斗の恋。
どちらも柚葉は知らない。
四人で作る『居場所』は少しずつ完成へ近づいている。
けれど現実の四人は。
近づけば近づくほど。
言えないものを増やし始めていた。
秋の風が少し強く吹いた。
玲奈は長い髪を押さえながら空を見上げた。
まだ。
何も始まっていない。
それでも。
何かが変わる気配だけは。
もう。
確かにそこにあった。
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