まだ白紙の僕らへ
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
二十八歳、大学中退。仕事も長続きせず、恋愛もうまくいかなかった。 「このままじゃダメだ」 そう思った松澤柚葉は、二年制のデザイン系専門学校への入学を決める。 周囲は十代ばかり。自分の年齢を気にしながら始まった学生生活で出会ったのは、今回が最後の挑戦だという二十五歳の榊原遥斗と、幼い頃から数々の賞を受賞してきた、圧倒的な絵の才能を持つ十九歳の飯村ミオだった。 優しい線を描く柚葉。 丁寧な線を重ねる遥斗。 そして、感情をそのままぶつけるような線を描くミオ。 年齢も、才能も、抱えているものも違う三人。 夢を追うには遅すぎるのか。 才能がなければ諦めるしかないのか。 才能があれば幸せになれるのか。 それぞれの不安を抱えながら、三人は少しずつ互いの人生に触れ、支え合い、自分だけの「描き方」を見つけていく。 まだ何者でもない。 未来だって決まっていない。 だからこそ、何度だって描き直せる。 これは、人生の途中で立ち止まった三人が、真っ白なキャンバスにもう一度未来を描き始める、二年間の青春群像劇。 『まだ白紙の僕らへ』 ――その白紙に何を描くのかを決めるのは、いつだって自分自身だ。
本文
第14話「揺れる居場所」
文化祭まであと一週間になった。
校舎の中は朝からどこか落ち着かず、廊下には完成間近の作品や展示用のパネルが並び始めていた。放課後になっても誰かしらが残っていて、普段なら静かな教室や実習室から遅くまで話し声が聞こえてくる。
柚葉たち四人も連日のように作品へ向かっていた。
一枚の大きな画面に描かれているのは四人が考えた『居場所』だった。
街の光や学校の窓、湖の水面や夜の公園。そこには春から夏にかけて三人で見た景色も、玲奈が加わってから生まれた景色も混ざっている。
何度も描き直して何度も意見をぶつけ合った。
最初はそれぞれ違う方向を向いていたはずの絵が、少しずつ一つの景色になろうとしていた。
「あと少しだね」
柚葉が少し離れたところから作品を眺めながら言った。
遥斗も筆を置いて全体を見る。
「思ってたよりまとまりましたね」
「でしょ?」
「まだ完成してないですけどね」
「いいじゃん今くらい褒めてくれても」
玲奈が隣で笑った。
「柚葉って自分が褒められたいだけじゃない?」
「作品を褒めてほしいの」
「ほぼ同じじゃん」
「違うよ」
二人が言い合っている横でミオは細い筆を使い、作品の端へ色を重ねていた。
最近はこうして四人でいる時間が本当に増えた。
玲奈ももう転入してきたばかりの頃のような遠慮はなく、柚葉に何か言われればすぐ言い返すし遥斗には普通に頼みごとをする。ミオにも絵のことで意見を求めるようになり、四人で一緒にいる光景はすっかり自然なものになっていた。
ただ表面だけを見れば。
ミオは筆を止めずに玲奈を見る。
玲奈は柚葉と話している。
その少し横で遥斗が二人の会話を聞いて笑っている。
何もおかしくない。
けれどミオには分かっていた。
遥斗は柚葉が好きだ。
玲奈は遥斗を見始めている。
柚葉だけは何も知らない。
四人でいる時間が増えるほど、それぞれの胸の中にあるものも増えていた。
「ミオ」
呼ばれて顔を上げる。
柚葉がこちらを見ている。
「何ですか」
「その辺どう?」
「もう少しだけ暗くした方がいいと思います」
「ここ?」
「はい」
柚葉が筆を動かす。
ミオは少しだけその手元を見てから再び作品へ戻った。
今は考えない方がいい。
そう思った。
少なくとも文化祭が終わるまでは。
その日の作業が終わった頃には外はすっかり暗くなっていた。
四人は実習室を出て駅へ向かう。
秋の夜は夏より早い。
少し前まで放課後でもまだ明るかったはずなのに今では校門を出る頃には街灯がついている。
「お腹すいた」
柚葉が言った。
「またですか」
遥斗が笑う。
「今日お昼早かったし」
「いつも言ってません?」
「成長期」
「もう成長期終わってると思いますよ」
「失礼だなあ」
玲奈が笑う。
「どっか寄る?」
柚葉が振り返る。
「私は行けるよ」
玲奈が答える。
遥斗も頷いた。
「俺も大丈夫です」
三人の視線がミオへ向いた。
「……また私ですか」
「ミオ待ち」
「行かないとは言ってません」
柚葉は満足そうに笑った。
「じゃあ決まり」
結局四人は駅前のファミレスへ入ることになった。
店内は文化祭準備をしている学生で思ったより混んでいた。
四人掛けの席へ案内され柚葉とミオが隣に座り、向かいに遥斗と玲奈が座った。
料理を注文して少しすると柚葉がメニューを閉じながら言った。
「文化祭終わったら何する?」
遥斗が笑う。
「もう終わった後の話ですか」
「だって今ずっと文化祭のことしかしてないじゃん」
「確かに」
玲奈も頷く。
「一回何も考えない日ほしいかも」
「でしょ?」
柚葉は嬉しそうに言う。
「四人でどっか行こうよ」
ミオが少しだけ顔を上げる。
四人で。
その言葉は今では珍しくない。
夏までは三人だった。
今は四人。
それを自分も受け入れ始めている。
それでもどこかで春や夏を思い出すことがある。
三人だけだった頃を。
「ミオは?」
柚葉が聞く。
「何ですか」
「行く?」
「場所によります」
「海」
「行きません」
「即答」
玲奈が笑う。
「ミオ海嫌いなの?」
「嫌いではないです」
「それ絶対嫌いなやつだよ」
「人が多くて砂がつくので」
柚葉が吹き出した。
「夏と同じこと言ってる」
遥斗も笑う。
そんなやり取りをしている間だけは、余計なことを考えずにいられた。
料理が運ばれてくる。
柚葉は少し辛そうな料理を頼んでいて、一口食べた瞬間に顔をしかめた。
「辛っ」
「自分で頼んだんですよね」
ミオが呆れる。
「思ったより辛い」
遥斗が水を差し出す。
「どうぞ」
「ありがと」
玲奈はその光景を見た。
自然だった。
遥斗が柚葉を気にかけることも、柚葉がそれを何の疑いもなく受け取ることも。
きっとずっとこうだったのだろう。
玲奈が入る前から。
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけざらついた。
「玲奈?」
柚葉に呼ばれて我に返る。
「何?」
「それ美味しい?」
「普通」
「一口ちょうだい」
「いいよ」
玲奈は少しだけ笑って自分の皿を柚葉側へ寄せた。
嫌いではない。
むしろ柚葉のことは好きだった。
明るくて距離を詰めるのが早くて、誰かを勝手に自分の側へ引き込んでしまう。
三人だった場所へ自分を入れたのも柚葉だった。
だからこそ余計に苦しかった。
嫌いになれれば楽なのに。
玲奈はそんな自分を少しだけ嫌になった。
食事が終わる頃には店内もだいぶ空いていた。
柚葉とミオがデザートを見ながら何か話している。
遥斗はスマートフォンで時間を確認していた。
玲奈は少し迷ってから口を開いた。
「遥斗」
「はい?」
「文化祭終わったらさ」
一瞬だけ言葉が詰まる。
柚葉とミオも自然と玲奈を見る。
玲奈は少し笑った。
「二人でどっか行かない?」
空気がほんの少し変わった。
遥斗も驚いた顔をする。
「二人で?」
「うん」
玲奈はなるべく自然に言ったつもりだった。
「前に画材屋付き合ってもらったし、今度私が何か付き合おうかなって」
遥斗は少し考えた。
その横で柚葉は分かりやすく目を輝かせている。
ミオは何も言わない。
「別にいいですよ」
遥斗が答えた。
「ほんと?」
「はい」
玲奈は笑った。
「じゃあ決まり」
柚葉はすぐに口を挟んだ。
「いいじゃん」
「何が?」
「別に」
明らかに何か言いたそうな顔だった。
玲奈が睨む。
「柚葉」
「何?」
「余計なこと言わないでよ」
「言ってないじゃん」
「顔が言ってる」
遥斗が困ったように笑う。
ミオだけは静かだった。
玲奈は一歩進んだ。
遥斗も断らなかった。
でも遥斗が見ている先は変わっていない。
ミオにはそれが分かる。
だから余計に不安だった。
ファミレスを出たあと四人は駅へ向かって歩いた。
柚葉と玲奈が前を歩き、その少し後ろを遥斗とミオが歩く。
「小宮さん」
ミオが小さな声で呼んだ。
「はい?」
「玲奈さんと出かけるんですね」
「まあ誘われたので」
「そうですか」
それだけだった。
遥斗は少し不思議そうにミオを見る。
「何かあります?」
「別に」
「またそれですね」
「便利なので」
遥斗は笑った。
けれどミオは笑わなかった。
少し迷ってから聞く。
「小宮さん」
「はい」
「柚葉さんのこと」
そこで言葉が止まる。
遥斗の顔から笑みが少し消えた。
二人の間に沈黙が落ちる。
ミオは自分でも何を聞こうとしているのか分からなかった。
好きなのか。
言うつもりなのか。
玲奈のことをどう思っているのか。
どれも聞きたいようで聞きたくなかった。
「……何ですか」
遥斗が静かに聞く。
ミオは少しだけ前を歩く柚葉を見る。
玲奈と笑っている。
何も知らない顔で。
「何でもないです」
結局それしか言えなかった。
遥斗もそれ以上聞かなかった。
次の日。
文化祭の準備はさらに慌ただしくなっていた。
四人の作品も仕上げの段階へ入っている。
細かい色の調整や線の修正。
どこを完成とするのか。
そこが一番難しかった。
「もういいんじゃない?」
柚葉が言う。
玲奈が首を横に振る。
「ここまだ気になる」
「どこ?」
「人物の影」
「私は大丈夫だと思います」
ミオが言う。
遥斗も全体を見る。
「俺も今の方が自然だと思います」
玲奈は少しだけ黙った。
「……そっか」
それ以上は言わなかった。
けれど何となく納得していないように見える。
柚葉は玲奈の横へ行った。
「気になる?」
「ちょっと」
「じゃあ直してみれば?」
「でも三人は今のでいいんでしょ」
「うん。でも玲奈もこれ作った一人じゃん」
玲奈が柚葉を見る。
「四人で作ってるんだから玲奈だけ我慢するのも違うでしょ」
柚葉は何でもないことのように言った。
「一回やってみて変だったら戻せばいいじゃん」
その言葉に玲奈は少しだけ笑った。
「それ前に私が言ったやつ」
「あ、そうだっけ」
「忘れてるし」
二人で笑う。
玲奈はもう一度筆を取った。
そんな二人を見ながらミオは思った。
柚葉はこういう人だ。
自分がどう見られるかより目の前の誰かがどう感じているかを先に考える。
だから人が集まる。
ミオも遥斗も玲奈も。
気づけば柚葉の周りにいた。
でもその中心にいる本人だけが、自分がどれだけ誰かへ影響しているのか気づいていない。
作業の途中で遥斗が先生に呼ばれた。
展示の確認らしい。
しばらくして玲奈も用事で教室を出ていった。
残ったのは柚葉とミオだけだった。
久しぶりに二人きりになる。
柚葉は筆を洗いながら言った。
「玲奈と遥斗うまくいくかな」
ミオは手を止める。
「またその話ですか」
「だって気になるじゃん」
「柚葉さんは本当に何とも思わないんですね」
「何が?」
「小宮さんのこと」
柚葉は少し不思議そうにミオを見る。
「だから遥斗は友達だって」
「本当にそれだけですか」
少し強く聞きすぎた。
言ったあとでミオ自身が気づいた。
柚葉も少しだけ驚いていた。
「……どうしたの?」
「別に」
「最近それ多いよ」
「便利なので」
いつもの返し。
でも柚葉は笑わなかった。
「ミオ何か知ってる?」
その言葉にミオの胸が強く跳ねた。
遥斗の気持ち。
玲奈の気持ち。
全部。
「知りません」
少し早く答えすぎた。
柚葉はじっとミオを見る。
「ほんと?」
「はい」
嘘だった。
柚葉に嘘をついた。
そのことが思っていた以上に苦しかった。
「ならいいけど」
柚葉はそれ以上聞かなかった。
ミオはほっとしたのに同時に少しだけ傷ついた。
信じてもらえたことが痛かった。
その日の帰り。
四人はいつものように駅へ向かった。
途中で玲奈がコンビニへ寄りたいと言い、柚葉もついていった。
遥斗とミオが外で待つ。
二人きりになった。
今度こそ。
ミオはそう思った。
「小宮さん」
「はい」
「柚葉さんに気持ちを伝えるつもりありますか」
遥斗が完全に動きを止めた。
しばらく何も言わない。
やがて小さく息を吐いた。
「気づいてたんですね」
「夏祭りから」
遥斗は少し苦笑した。
「そんな分かりやすかったですか」
「私には」
「柚葉さんは?」
「全然」
二人とも少しだけ笑った。
けれどすぐに笑いは消えた。
「伝えるかは分かりません」
遥斗が答える。
「今のままが好きなので」
「……私もです」
ミオは前を向いた。
「だから少し怖いです」
遥斗がミオを見る。
「何がですか」
「変わることが」
言葉にしてみると自分でもよく分かった。
怖かった。
玲奈が入って四人になったことも最初は怖かった。
今では玲奈のことも嫌いではない。
むしろ一緒にいる時間を楽しいと思う。
それでも遥斗の恋が動けば、今度こそ戻れない何かが変わる気がしていた。
「でも」
遥斗が言う。
「ずっと同じではいられないですよね」
ミオは何も言わなかった。
分かっている。
季節も変わる。
人も変わる。
関係だって変わる。
分かっているからこそ怖かった。
「玲奈さんのことは?」
ミオが聞く。
「友達です」
「それだけですか」
「今は」
その答えを聞いてミオは少しだけ目を伏せた。
やっぱり。
玲奈の気持ちは報われないかもしれない。
それを知っているのも自分だけだった。
コンビニから柚葉と玲奈が戻ってきた。
「何話してたの?」
柚葉が聞く。
ミオと遥斗が一瞬だけ顔を見合わせる。
「文化祭の話です」
遥斗が答えた。
また一つ。
柚葉に秘密が増えた。
その夜。
ミオは机の前に座っていた。
目の前には文化祭のために描いた色見本。
隣には夏に描いた三人の絵がある。
三つの影が並んで歩いている。
その隣へ新しい紙を置く。
四人の影を描こうとした。
一人目。
二人目。
三人目。
そして四人目。
鉛筆が止まった。
四人でいることは楽しい。
それは嘘ではない。
それでも心のどこかで三人だった頃を手放せずにいる。
そんな自分が少し嫌だった。
玲奈を邪魔だと思いたいわけではない。
遥斗に恋をするなとも思わない。
柚葉に何も変わるなとも言えない。
ただ今の居場所をなくしたくない。
それだけだった。
ミオは四人目の影をゆっくり描き足した。
完成した紙には四人が並んでいた。
けれどよく見ると。
四人の間にはほんの少しずつ違う距離があった。
ミオはそれを消さなかった。
もしかすると今の四人は。
もうそういう形なのかもしれなかった。
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