まだ白紙の僕らへ
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
二十八歳、大学中退。仕事も長続きせず、恋愛もうまくいかなかった。 「このままじゃダメだ」 そう思った松澤柚葉は、二年制のデザイン系専門学校への入学を決める。 周囲は十代ばかり。自分の年齢を気にしながら始まった学生生活で出会ったのは、今回が最後の挑戦だという二十五歳の榊原遥斗と、幼い頃から数々の賞を受賞してきた、圧倒的な絵の才能を持つ十九歳の飯村ミオだった。 優しい線を描く柚葉。 丁寧な線を重ねる遥斗。 そして、感情をそのままぶつけるような線を描くミオ。 年齢も、才能も、抱えているものも違う三人。 夢を追うには遅すぎるのか。 才能がなければ諦めるしかないのか。 才能があれば幸せになれるのか。 それぞれの不安を抱えながら、三人は少しずつ互いの人生に触れ、支え合い、自分だけの「描き方」を見つけていく。 まだ何者でもない。 未来だって決まっていない。 だからこそ、何度だって描き直せる。 これは、人生の途中で立ち止まった三人が、真っ白なキャンバスにもう一度未来を描き始める、二年間の青春群像劇。 『まだ白紙の僕らへ』 ――その白紙に何を描くのかを決めるのは、いつだって自分自身だ。
本文
第15話「文化祭」
文化祭当日の朝、校舎は普段とはまるで違う場所に見えた。
正門には大きな看板が立ち、廊下には色とりどりの案内が貼られている。教室や実習室には完成した作品が並び、生徒たちはまだ開場前だというのに慌ただしく行き来していた。
柚葉たち四人も朝から展示の最終確認に追われていた。
何度も見直したはずなのに、いざ一般客が入ると思うと細かいところまで気になってくる。
「ここ少し曲がってない?」
柚葉が展示パネルを見ながら言った。
遥斗が横から確認する。
「曲がってないですよ」
「ほんと?」
「多分」
「多分って何」
「柚葉さんが気にしすぎなんです」
玲奈も少し離れたところから全体を眺めた。
「大丈夫だと思う。昨日より触らない方がいいよ」
「昨日もそう言われた」
「じゃあ今日も言う」
柚葉は少し不満そうな顔をしたが、それ以上は触らなかった。
ミオは少し離れたところから作品を見ていた。
何週間も四人で作ってきた『居場所』。
大きな画面の中には街の光や学校の窓、湖の水面や夜の公園が重なり、その間を四人の人物が歩いている。
夏に三人で見た景色。
秋になって四人で見た景色。
どちらも同じ画面の中にある。
完成した作品を改めて見ると、不思議なくらい今の四人に似ている気がした。
別々の場所から始まったものが少しずつ重なっている。
でも完全に同じ色にはならない。
それでも一枚の絵として成立している。
ミオはしばらく黙って見ていた。
「ミオ?」
柚葉に呼ばれて顔を上げる。
「何ですか」
「どう?」
「何がですか」
「完成したやつ」
ミオはもう一度作品を見た。
「……好きです」
柚葉の顔が少し明るくなる。
「ほんと?」
「はい」
「珍しく素直」
「今日はいいんです」
その言葉に玲奈も遥斗も少し笑った。
四人で作ったものを好きだと言える。
少し前のミオならできなかったかもしれない。
柚葉はそれだけで少し嬉しかった。
開場すると校舎には一気に人が増えた。
在校生の家族や卒業生、近隣の人たちまで訪れ、廊下はすぐに賑やかになった。
四人の作品の前にも何人もの人が立ち止まる。
長く見ていく人。
写真を撮る人。
友人同士で感想を話す人。
柚葉は少し離れた場所からその様子を見ていた。
「なんか変な感じ」
「何がですか」
遥斗が聞く。
「知らない人が私たちの絵見てる」
「展示なんだから当たり前ですよ」
「分かってるけど」
柚葉は少し笑った。
「でも嬉しい」
遥斗も作品を見る。
「ですね」
その少し後ろでミオは人の反応を静かに見ていた。
以前なら誰かに作品を見られることが怖かった。
何を言われるか気になった。
上手いと言われても嬉しくなかったし、期待されることも嫌だった。
でも今は少し違う。
四人で作ったものだからなのかもしれない。
自分一人の作品ではないから。
誰かの感想を聞いても、それを全部自分で背負わなくていい。
そんなふうに思えるだけで随分楽だった。
昼頃になると交代で休憩を取ることになった。
最初に抜けたのは柚葉と玲奈だった。
二人は校内を回りながら他のクラスの展示を見て歩く。
途中で模擬店に寄り、玲奈が買った飲み物を片手に廊下の窓際へ立った。
「思ってたより楽しい」
玲奈が言う。
「でしょ?」
「柚葉が作ったわけじゃないけどね」
「私こういうの好きなんだよ」
玲奈は窓の外を見る。
校庭にもいくつかのテントが出ていて、人が行き交っている。
「転校してきたときは文化祭まで参加すると思ってなかった」
「何で?」
「こんな時期だったし」
「でも来たじゃん」
「来たけど」
玲奈は少し笑った。
「三人のところにも入ると思ってなかった」
柚葉が顔を向ける。
「まだそれ気にしてるの?」
「少しだけ」
「もう今さらでしょ」
柚葉は何でもないことのように言った。
「玲奈がいるの普通になったし」
その一言に玲奈は少しだけ黙った。
普通になった。
それが思っていた以上に嬉しかった。
「そっか」
「うん」
玲奈は少し笑った。
そのあと二人はまた歩き出した。
一方その頃、展示場所に残っていた遥斗とミオは人の流れを見ながら話していた。
「結構見てもらえてますね」
遥斗が言う。
「そうですね」
「ミオさん大丈夫ですか」
「何がですか」
「人に見られるの」
ミオは少しだけ考えた。
「前よりは」
「嫌じゃない?」
「嫌ではないです」
遥斗は少し安心したように笑った。
「ならよかった」
その横顔を見ながらミオは夏祭りの日を思い出した。
遥斗は今も柚葉を好きなのだろう。
でも何も言わない。
玲奈は遥斗を見ている。
柚葉は何も知らない。
そして自分だけが全部知っている。
その状態にも少しずつ慣れてきてしまった。
良いのか悪いのかは分からない。
ただ今は文化祭を壊したくなかった。
「小宮さん」
「はい?」
「今日は」
少しだけ間を置く。
「余計なこと考えないで楽しんだ方がいいと思います」
遥斗は一瞬だけミオを見る。
何の話をしているのか、すぐに分かったらしい。
「そうですね」
それだけ答えた。
二人の間にそれ以上の会話はなかった。
午後になると四人は再び揃った。
少し客足が落ち着いたところで柚葉が言う。
「せっかくだし四人で回らない?」
遥斗が時計を見る。
「交代大丈夫ですかね」
「先生に聞いてくる」
柚葉はそう言ってすぐに走っていった。
「また走ってる」
ミオが呟く。
玲奈が笑う。
「いつもあんな感じ?」
「いつもです」
遥斗も頷いた。
「大体あんな感じです」
数分後、柚葉が戻ってきた。
「大丈夫だって」
「早い」
「善は急げ」
「意味合ってます?」
「多分」
「また適当」
四人は笑いながら展示場所を離れた。
最初に行ったのは別のクラスの立体作品だった。
次は写真展示。
そのあと模擬店へ寄り、玲奈が射的を見つけた。
「やる?」
柚葉が言う。
遥斗が少し嫌な予感を覚えた。
「夏祭りの続きですか」
「今度こそ私が取る」
「また言ってますね」
「見てて」
結果は散々だった。
一発目は外れ、二発目も外れ、三発目はなぜか別の景品に当たった。
「惜しい」
「全然惜しくないです」
ミオが言う。
玲奈は声を上げて笑った。
「柚葉ほんと下手だね」
「うるさいなあ」
遥斗は隣で苦笑している。
「また俺がやるんですか?」
柚葉はすぐに銃を差し出した。
「お願い」
遥斗は受け取った。
その瞬間、玲奈の表情がほんの少しだけ変わった。
夏祭りのとき。
遥斗が柚葉のためにぬいぐるみを取った。
その話は前に聞いていた。
今も同じような光景が繰り返されようとしている。
玲奈は何も言わず見ていた。
遥斗は一発目を外し、二発目で景品を落とした。
小さなキーホルダーだった。
店員から受け取る。
柚葉が嬉しそうに手を出した。
「やった」
遥斗は一瞬だけ止まった。
それから玲奈を見た。
ほんの短い間だった。
そしてキーホルダーを玲奈へ差し出した。
「これ玲奈さんに」
玲奈が目を丸くする。
「え?」
「前に画材屋付き合ってもらったし」
「それ逆じゃない?」
「まあいいじゃないですか」
玲奈は少しだけ戸惑いながら受け取った。
「……ありがとう」
柚葉が隣で笑う。
「いいじゃん」
その顔には本当に何もなかった。
嫉妬も不満もない。
ただ玲奈がもらったことを喜んでいる。
そのことが玲奈には少しだけ苦しかった。
でも同時に嬉しくもあった。
遥斗が自分を見てくれた。
たったそれだけのことでも。
その後も四人で校内を回った。
写真を撮った。
飲み物を分け合った。
作品について話した。
どうでもいいことで笑った。
気づけば夕方になっていた。
閉場の時間が近づき、四人は自分たちの展示場所へ戻った。
最後の客が帰ったあと、校舎は一気に静かになった。
先生たちの声や片づけの音だけが遠くで聞こえる。
四人は作品の前に立った。
「終わったね」
柚葉が言う。
遥斗が頷く。
「終わりましたね」
玲奈は大きく息を吐いた。
「なんか寂しい」
ミオも作品を見る。
「分かります」
少し前までは完成させることが怖かった。
完成した瞬間に終わってしまう気がしていたから。
でも今は違う。
終わることが寂しいと思える。
それは少しだけ嬉しい変化だった。
「写真撮ろうよ」
柚葉が言った。
四人は作品の前に並んだ。
スマートフォンを先生に渡し、シャッターを押してもらう。
真ん中に柚葉。
その隣にミオ。
反対側に遥斗。
そして遥斗の横に玲奈。
四人とも少し疲れていた。
それでも笑っていた。
写真を確認すると柚葉が満足そうに言った。
「いいじゃん」
玲奈も画面を覗く。
「ちゃんと四人いる」
何気ない一言だった。
けれどミオには少しだけ残った。
ちゃんと四人いる。
夏に撮った写真は三人だった。
今は四人。
それでいい。
少なくとも今日はそう思えた。
片づけが終わる頃には外は暗くなっていた。
四人は校門を出て駅へ向かう。
今日は誰も急いでいなかった。
文化祭が終わった安心感もあり、少しだけゆっくり歩いていた。
「打ち上げしたい」
柚葉が言う。
玲奈が笑う。
「またご飯?」
「いいじゃん」
遥斗も頷く。
「今日はいいんじゃないですか」
ミオも小さく笑った。
「行きましょう」
柚葉が嬉しそうに振り返る。
「ミオが一番乗り気」
「今日くらいは」
四人は駅前の店へ入った。
食事をしながら文化祭の話を振り返った。
失敗したところ。
先生に怒られたこと。
客に言われて嬉しかったこと。
玲奈が途中から入った話。
四人で初めて作品を作った話。
「またやりたいね」
柚葉が言う。
「次はもっと早く準備したいです」
遥斗が答える。
「それ絶対柚葉が無理」
玲奈が笑う。
「なんで」
「最後に焦るタイプだから」
「文化祭はちゃんとしてたじゃん」
「周りがちゃんとしてたからです」
ミオが言う。
「三対一やめて」
四人で笑った。
その笑い声の中で玲奈はふと遥斗を見た。
遥斗も笑っている。
その視線が一瞬柚葉へ向く。
やっぱり。
まだ変わっていない。
玲奈は分かっていた。
それでも今日もらった小さなキーホルダーが鞄の中に入っている。
そのことだけで少しだけ前を向ける気がした。
店を出ると夜の空気は冷たかった。
秋が深くなっている。
駅前の人通りも少なくなり、四人の足音が少しだけ大きく聞こえた。
途中で玲奈が立ち止まる。
「私こっちだから」
「うん」
柚葉が手を振る。
「またね」
遥斗も軽く頭を下げる。
「お疲れさまでした」
ミオも小さく手を上げた。
玲奈は少しだけ迷ってから遥斗を見る。
「遥斗」
「はい?」
「今度の約束忘れないでよ」
「覚えてます」
「ほんとに?」
「大丈夫です」
玲奈は少し安心したように笑った。
「じゃあまた」
今度こそ改札へ向かう。
柚葉は玲奈の背中を見ながら小声で言った。
「いい感じじゃん」
「何がですか」
遥斗が聞く。
「別に」
「またそれですか」
ミオが横で少しだけ笑う。
三人になった帰り道。
久しぶりに感じる。
夏の頃はこれが当たり前だった。
柚葉が真ん中。
遥斗とミオがその両側。
少し歩いたところで柚葉が言った。
「文化祭楽しかったね」
「ですね」
遥斗が答える。
ミオも頷いた。
「楽しかったです」
「玲奈来てよかったね」
柚葉が続ける。
遥斗もすぐに答えた。
「そうですね」
ミオは少しだけ遅れて頷いた。
「はい」
本心だった。
駅前の交差点で三人は信号を待った。
夏祭りの夜と同じ場所。
でも季節はもう秋だった。
信号が青へ変わる。
三人は歩き出した。
少し前に玲奈がいる四人の時間を楽しいと思った。
今こうして三人で歩く時間も懐かしいと思う。
どちらかを選ぶ必要なんてないのかもしれない。
ミオはようやく少しだけそう思えた。
その夜。
ミオは自分の部屋で文化祭の写真を開いた。
作品の前に並ぶ四人。
柚葉。
自分。
遥斗。
玲奈。
四人とも笑っている。
その写真を見ながらミオは新しいページを開いた。
今度は迷わず四人を描き始める。
一人目。
二人目。
三人目。
四人目。
以前描いたときには少しずつ距離があった。
今日は違う。
四人を同じ景色の中へ置く。
それでも一人一人の間には少しだけ空間を残した。
近すぎなくていい。
同じ気持ちでなくてもいい。
それでも同じ場所にいられるなら。
それも居場所なのかもしれない。
ミオは描きかけの四人をしばらく見たあと、ほんの少しだけ笑った。
三人だった春と夏はもう戻らない。
でも戻らなくてもいい。
そう思えた夜だった。
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