まだ白紙の僕らへ
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
二十八歳、大学中退。仕事も長続きせず、恋愛もうまくいかなかった。 「このままじゃダメだ」 そう思った松澤柚葉は、二年制のデザイン系専門学校への入学を決める。 周囲は十代ばかり。自分の年齢を気にしながら始まった学生生活で出会ったのは、今回が最後の挑戦だという二十五歳の榊原遥斗と、幼い頃から数々の賞を受賞してきた、圧倒的な絵の才能を持つ十九歳の飯村ミオだった。 優しい線を描く柚葉。 丁寧な線を重ねる遥斗。 そして、感情をそのままぶつけるような線を描くミオ。 年齢も、才能も、抱えているものも違う三人。 夢を追うには遅すぎるのか。 才能がなければ諦めるしかないのか。 才能があれば幸せになれるのか。 それぞれの不安を抱えながら、三人は少しずつ互いの人生に触れ、支え合い、自分だけの「描き方」を見つけていく。 まだ何者でもない。 未来だって決まっていない。 だからこそ、何度だって描き直せる。 これは、人生の途中で立ち止まった三人が、真っ白なキャンバスにもう一度未来を描き始める、二年間の青春群像劇。 『まだ白紙の僕らへ』 ――その白紙に何を描くのかを決めるのは、いつだって自分自身だ。
本文
第17話「雪の向こう側」
朝起きてカーテンを開けると街は白くなっていた。
夜の間に降り続いた雪が屋根にも道路にも積もり、いつもなら灰色に見える冬の街を別の場所のように変えている。
柚葉はしばらく窓の前に立っていた。
「ほんとに降ったんだ」
昨日イルミネーションを見ながら玲奈が雪が降りそうだと言っていた。
あのときは誰も本気にしていなかったのに。
スマートフォンを手に取ると四人のグループにすでにメッセージが届いていた。
玲奈からだった。
『雪すごい』
その下に自宅の窓から撮ったらしい写真がある。
柚葉はすぐに返した。
『こっちも!』
数秒後。
遥斗からも届く。
『電車遅れてるみたいですよ』
そして少し遅れてミオ。
『休校になりませんか』
柚葉は笑った。
『学校嫌なの?』
『寒いので外に出たくないだけです』
『雪だよ?』
『見れば分かります』
『遊ぼうよ』
しばらく返事が来ない。
やがて。
『嫌です』
予想通りだった。
柚葉は笑いながら制服へ着替え始めた。
学校へ着いた頃には雪はほとんど止んでいた。
校庭には誰も踏んでいない場所がまだ残っていて、朝の光を受けた雪が白く輝いている。
柚葉は昇降口へ向かう途中で足を止めた。
少しだけ迷う。
そして。
誰も歩いていない雪の上へ一歩踏み出した。
靴が沈む。
白い地面に自分の足跡が残った。
もう一歩。
また一つ。
「何してるんですか」
後ろから声がした。
振り返る。
遥斗だった。
マフラーを巻き、少し呆れた顔でこちらを見ている。
「足跡」
「見れば分かります」
「ミオみたいなこと言うね」
遥斗は少し笑った。
柚葉はさらに雪の上を歩く。
「誰も踏んでないところ歩きたくならない?」
「まあ少しは」
「でしょ?」
遥斗も校庭へ入った。
柚葉の少し後ろ。
同じ足跡を踏むのではなく、その隣へ新しい足跡を残していく。
二人分の足跡が並んだ。
柚葉はそれを見て笑う。
「なんかいいね」
「何がですか」
「二本ある」
遥斗も足元を見る。
白い雪の上に二人の歩いた跡が続いている。
ただそれだけ。
それなのに。
遥斗には少し特別に見えた。
「写真撮ろ」
柚葉がスマートフォンを出す。
足跡へ向けて一枚。
そのとき。
「何してるの?」
また声がした。
玲奈だった。
その後ろにはミオもいる。
「やっぱりいました」
ミオが呆れたように言う。
柚葉が振り返る。
「ミオも来て」
「嫌です」
「何で」
「靴濡れるので」
「雪なんだから仕方ないじゃん」
「だから嫌なんです」
玲奈が笑った。
「私は行く」
玲奈は迷わず雪へ足を入れた。
三本目の足跡。
柚葉がミオを見る。
「ほら」
「何がほらなんですか」
「ミオだけだよ」
「別にいいです」
「早く」
「嫌です」
「ミオ」
「嫌です」
しばらく睨み合う。
結局。
「……分かりました」
ミオが負けた。
慎重に雪の上へ足を置く。
四本目。
柚葉は満足そうに笑った。
「最初から来ればいいのに」
「柚葉さんがしつこいだけです」
四人の足跡が白い校庭へ続いていった。
昼休みになっても校庭には雪が残っていた。
柚葉は窓の外を何度も見ていた。
「行きたいなら行けば?」
玲奈が言う。
「行く?」
「私は行く」
柚葉が遥斗を見る。
「小宮さんは断っても連れていかれるんでしょうね」
「分かってきたね」
「ミオは?」
「行きません」
「じゃあ三人で」
柚葉が立ち上がる。
ミオは少しだけ三人を見る。
そのまま弁当を食べようとした。
けれど。
数秒後。
静かに蓋を閉めた。
「……行きます」
柚葉が笑う。
「やっぱり」
「笑わないでください」
四人で外へ出た。
校庭では何人もの生徒が雪で遊んでいた。
雪だるまを作っている人。
写真を撮っている人。
雪を投げ合っている人。
柚葉は足元の雪を拾った。
遥斗が嫌な予感を覚える。
「柚葉さん」
「何?」
「それ投げないですよね」
柚葉は答えなかった。
代わりに。
投げた。
雪玉が遥斗の肩に当たる。
一瞬の沈黙。
玲奈が笑い出した。
「柚葉」
「命中」
遥斗は肩についた雪を払う。
「やりましたね」
「え」
遥斗が雪を拾う。
「待って」
「遅いです」
柚葉が逃げる。
遥斗が追う。
「ちょっと本気じゃん!」
「先にやったの柚葉さんですよ!」
玲奈は笑いながらその様子を見ていた。
ミオは少し離れた場所で呆れている。
「子供ですね」
「ミオもやる?」
玲奈が雪を拾う。
「やりません」
「そう?」
玲奈は笑った。
次の瞬間。
小さな雪玉がミオの腕に当たった。
ミオが止まる。
玲奈の笑顔も止まった。
「……玲奈さん」
「ごめん」
「今投げましたね」
「ちょっとだけ」
ミオは静かに雪を拾った。
玲奈が後ずさる。
「待って」
「何ですか」
「ミオそういうのやらない人じゃないの?」
「誰が言いました?」
「今までのミオが」
「知りません」
玲奈が逃げる。
ミオが追う。
いつの間にか四人で雪を投げ合っていた。
柚葉の笑い声。
遥斗の声。
玲奈の声。
そして。
ミオの笑い声。
それが冬の校庭へ広がっていく。
しばらくして四人は校舎の壁際へ座った。
全員少し濡れている。
「寒い」
柚葉が言った。
遥斗が呆れたように見る。
「自業自得ですよ」
「遥斗もやってたじゃん」
「巻き込まれたんです」
玲奈は手袋についた雪を払いながら笑う。
「ミオが一番怖かった」
「玲奈さんが先にやったんですよ」
「まさか反撃してくると思わなかった」
「私を何だと思ってるんですか」
四人で笑う。
息を吐くたび白くなる。
その白い息が少しだけ重なって消えていく。
柚葉は校庭を見る。
朝につけた四人の足跡はもう分からなくなっていた。
たくさんの生徒が歩き、走り、雪を踏んだ。
「消えちゃった」
柚葉が言う。
「何が?」
玲奈が聞く。
「朝の足跡」
遥斗も見る。
「まあこれだけ人がいたら」
「写真撮っといてよかった」
柚葉はスマートフォンを開いた。
朝に撮った写真。
四本の足跡。
それを三人へ見せる。
玲奈が笑う。
「なんか作品みたい」
「でしょ?」
「たまたまでしょ」
ミオが言う。
「でもいいじゃん」
柚葉は写真を見る。
「消えても残るし」
ミオはその言葉を聞いて少しだけ柚葉を見る。
消えても残る。
何でもない言葉だった。
でも。
なぜか胸に残った。
放課後。
雪はすっかり止んでいた。
道路の雪も少しずつ溶け始めている。
四人で駅へ向かう途中。
玲奈が遥斗の隣を歩いていた。
少し前には柚葉とミオ。
「遥斗」
「はい?」
「今日楽しかった?」
「雪合戦ですか」
「それも」
遥斗は少し笑った。
「楽しかったですよ」
「そっか」
玲奈も笑う。
少しだけ勇気を出す。
「今度また二人でどっか行かない?」
遥斗は少し考えた。
「いいですよ」
以前と同じ答え。
それでも玲奈は嬉しかった。
「じゃあ決まり」
前を歩く柚葉が振り返る。
「何が決まり?」
玲奈がすぐに答える。
「秘密」
「また?」
「秘密」
「最近私だけ知らないこと多くない?」
柚葉が不満そうに言う。
ミオが隣で呟く。
「気のせいです」
「絶対違う」
四人で笑った。
駅へ着くと玲奈は別のホームへ向かった。
柚葉とミオと遥斗は同じ電車へ乗る。
車内は暖かかった。
柚葉は窓側へ座り、その隣にミオ。
遥斗は向かい側。
窓の外を白い景色が流れていく。
「眠い」
柚葉が言う。
「寝たら乗り過ごしますよ」
遥斗が言う。
「ミオ起こして」
「嫌です」
「なんで」
「自分で起きてください」
「冷たい」
そう言いながら柚葉は目を閉じた。
数分もしないうちに本当に眠ってしまった。
ミオは横を見る。
柚葉の頭が少しずつ傾いてくる。
そして。
ミオの肩に乗った。
ミオは何も言わなかった。
遥斗が少し笑う。
「重くないですか」
「起こしますよ」
「やめときましょう」
「じゃあ言わないでください」
遥斗は笑った。
しばらく二人とも話さなかった。
電車の揺れる音だけが続く。
「小宮さん」
ミオが小さな声で呼ぶ。
「はい?」
「玲奈さんのこと」
遥斗は少しだけ表情を変えた。
「どう思ってるんですか」
「前にも聞きませんでした?」
「前とは少し違うので」
遥斗は窓の外を見る。
「大切な友達ですよ」
「それだけですか」
「今は」
また同じ答え。
でも以前とは少しだけ響きが違った。
ミオにはそう聞こえた。
「そうですか」
「何でそんなに気になるんです?」
遥斗が聞く。
ミオは眠っている柚葉を見る。
「四人でいたいので」
遥斗は少しだけ目を見開いた。
ミオは続ける。
「前は三人のままがいいと思ってました」
窓の外を見る。
「でも今は四人がいいです」
遥斗は何も言わなかった。
「だから誰かが傷ついて離れるのは嫌です」
遥斗は少しだけ俯いた。
「難しいですね」
「はい」
それだけだった。
次の日。
玲奈は美術室で一人スケッチブックを開いていた。
クリスマスに遥斗からもらったもの。
何ページかにはすでに絵が描かれている。
四人。
学校。
街。
柚葉。
ミオ。
遥斗。
気づけば遥斗を描くページが少しずつ増えていた。
玲奈は新しいページを開く。
昨日の雪景色を描き始める。
四人の足跡。
白い校庭。
遠くに四人の姿。
描いている途中で声がした。
「玲奈さん」
顔を上げる。
ミオだった。
「珍しいね」
「何がですか」
「ミオから来るの」
「少し聞きたいことがあったので」
玲奈は鉛筆を置いた。
「遥斗のこと?」
ミオが少しだけ驚く。
玲奈は笑った。
「顔に出てる」
「……玲奈さんに言われたくないです」
「どういう意味?」
ミオは隣の椅子へ座った。
少し迷ってから聞く。
「小宮さんのこと好きなんですか」
玲奈の笑顔が止まった。
今まで。
誰にもはっきり言っていなかった。
柚葉には気になるかもしれないと言った。
遥斗にも伝えていない。
自分の中ではもう答えが出ている。
それでも言葉にするのは少し怖かった。
玲奈はしばらくスケッチブックを見ていた。
そして。
「うん」
静かに答えた。
「好き」
ミオは何も言わなかった。
分かっていた。
それでも本人の口から聞くと少し違う。
「でも遥斗は柚葉が好き」
玲奈が続ける。
「知ってます」
「やっぱり」
玲奈は少し笑った。
「ミオなら知ってると思った」
「夏祭りから」
「早いね」
「分かりやすかったので」
「柚葉は?」
「全然です」
二人とも少しだけ笑った。
でもすぐに静かになった。
「ミオはどうしたいの?」
玲奈が聞く。
「何がですか」
「この四人」
ミオは少し考えた。
昨日遥斗に言った言葉。
「四人でいたいです」
玲奈はミオを見る。
「玲奈さんも」
少しだけ言いにくそうに続ける。
「小宮さんも柚葉さんも」
「欲張りだね」
玲奈が笑った。
「そうかもしれません」
「でも私も同じ」
玲奈はスケッチブックを見る。
「遥斗のことは好き。でも三人とも好き」
ミオは少しだけ玲奈を見る。
「だから困ってる」
玲奈は笑った。
少し寂しい笑い方だった。
「好きにならなきゃよかったって思う?」
ミオが聞く。
玲奈は首を横に振った。
「それは思わない」
迷いはなかった。
「苦しいけど好きになったことまで嫌にはしたくない」
ミオは何も言わなかった。
その言葉が少しだけ眩しく感じた。
好きなものを好きだと言える。
玲奈は強い。
「ミオは?」
「何ですか」
「好きな人いないの?」
ミオは一瞬止まった。
「いません」
「即答」
「本当にいません」
「柚葉は?」
「は?」
あまりにも予想していなかった名前にミオの声が少し大きくなった。
玲奈が笑う。
「冗談」
「やめてください」
「でも柚葉のこと好きでしょ」
「友達としてなら」
答えながら。
ミオは少しだけ違和感を覚えた。
友達。
その言葉でいいはずなのに。
なぜか。
少しだけ足りないような気がした。
玲奈はその表情を見ていた。
「ミオ」
「何ですか」
「今変な顔した」
「してません」
「したよ」
「してません」
「そっか」
玲奈はそれ以上言わなかった。
放課後。
四人はいつものように駅へ向かった。
昨日積もった雪はほとんど溶けている。
道の端に少しだけ白いものが残っているだけだった。
「もうなくなっちゃったね」
柚葉が言う。
「昨日あれだけ遊べば十分じゃない?」
玲奈が笑う。
「また降るかな」
遥斗が空を見る。
「冬はまだ長いですからね」
ミオも空を見上げた。
灰色の雲。
冷たい風。
その中を四人で歩く。
昨日の足跡はもう消えた。
でも。
柚葉のスマートフォンには写真が残っている。
玲奈のスケッチブックには絵が残っている。
そして。
四人の中には記憶が残っている。
消えることと。
なくなることは。
同じではない。
冬はまだ始まったばかりだった。
そして四人の距離も。
少しずつ。
形を変え始めていた。
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