まだ白紙の僕らへ
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
二十八歳、大学中退。仕事も長続きせず、恋愛もうまくいかなかった。 「このままじゃダメだ」 そう思った松澤柚葉は、二年制のデザイン系専門学校への入学を決める。 周囲は十代ばかり。自分の年齢を気にしながら始まった学生生活で出会ったのは、今回が最後の挑戦だという二十五歳の榊原遥斗と、幼い頃から数々の賞を受賞してきた、圧倒的な絵の才能を持つ十九歳の飯村ミオだった。 優しい線を描く柚葉。 丁寧な線を重ねる遥斗。 そして、感情をそのままぶつけるような線を描くミオ。 年齢も、才能も、抱えているものも違う三人。 夢を追うには遅すぎるのか。 才能がなければ諦めるしかないのか。 才能があれば幸せになれるのか。 それぞれの不安を抱えながら、三人は少しずつ互いの人生に触れ、支え合い、自分だけの「描き方」を見つけていく。 まだ何者でもない。 未来だって決まっていない。 だからこそ、何度だって描き直せる。 これは、人生の途中で立ち止まった三人が、真っ白なキャンバスにもう一度未来を描き始める、二年間の青春群像劇。 『まだ白紙の僕らへ』 ――その白紙に何を描くのかを決めるのは、いつだって自分自身だ。
本文
第18話「言えないままの気持ち」
冬休みが終わり、久しぶりに四人が揃った教室には新しい年を迎えたばかりの少し浮ついた空気が残っていた。
朝からあちこちで年末年始の話が飛び交い、帰省した生徒がお土産を配ったり冬休みの課題を忘れた生徒が慌てて友人に見せてもらったりしている。
そんな中、柚葉は机に突っ伏していた。
「休み短すぎる……」
隣で荷物を整理していた遥斗が呆れたように笑う。
「始まって最初に言うことがそれですか」
「だって昨日まで休みだったんだよ」
「昨日まで休みだったから今日から学校なんですよ」
「正論嫌い」
少し離れた席で本を読んでいたミオが顔を上げる。
「柚葉さん冬休みの課題終わったんですか」
柚葉の動きが止まった。
遥斗も止まる。
ミオは本を閉じた。
「……終わったんですか」
「終わったよ」
「本当に?」
「終わったって」
「いつですか」
柚葉は顔を上げないまま小さく答えた。
「昨日」
遥斗が吹き出した。
「やっぱり」
「終わったならいいじゃん」
「去年から何も成長してないですね」
「去年の私知らないでしょ」
「想像できます」
ミオが言うと柚葉はようやく顔を上げた。
「二人とも新年から酷くない?」
そのとき後ろから声がした。
「でも柚葉っぽい」
玲奈だった。
コートを脱ぎながら四人のところへ来る。
「玲奈まで」
「明けましておめでとう」
「話逸らした」
「明けましておめでとうございます」
遥斗が笑う。
ミオも小さく頭を下げた。
「今年もよろしくお願いします」
「よろしく」
玲奈が笑う。
柚葉は少し不満そうだったが結局笑った。
「今年もよろしく」
四人で迎える初めての新しい年だった。
昼休み。
四人はいつものように机を寄せて昼食を食べていた。
冬休みに何をしていたかという話になり、柚葉はほとんど家にいたと答えた。
「初詣は?」
玲奈が聞く。
「家族で行ったよ」
「何お願いした?」
「言ったら叶わないじゃん」
「それ願い事じゃなくて夢じゃない?」
「同じようなものでしょ」
遥斗が少し笑う。
「柚葉さんなら食べ物じゃないですか」
「私を何だと思ってるの」
「よく食べる人」
「間違ってないです」
ミオが続ける。
「ミオまで」
玲奈が笑った。
こんな会話も今では当たり前だった。
玲奈が転入してきた頃は四人でいることに少しだけ違和感があった。
それが今では玲奈がいないと何か足りないように感じる。
ミオ自身もその変化に気づいていた。
人との距離が変わることをあれほど怖がっていたのに、変わった先にもちゃんと居場所があることを少しずつ知り始めている。
だからこそ。
今度は別の変化が怖かった。
「そういえば」
玲奈が箸を置いた。
「もうすぐバレンタインだね」
柚葉が顔を上げる。
「まだ一か月以上あるよ」
遥斗が笑う。
「クリスマスのとき柚葉さんが同じこと言ってましたよ」
「あ」
「人のこと言えないじゃないですか」
「忘れて」
玲奈は少しだけ笑った。
でもミオには分かった。
玲奈は何となく言ったわけではない。
玲奈が遥斗を好きだと知っているから。
その言葉の意味が分かってしまう。
「玲奈は誰かにあげるの?」
柚葉が何の迷いもなく聞いた。
玲奈の手が止まる。
遥斗も何となく玲奈を見る。
「まあ」
玲奈は少しだけ笑った。
「いるかもね」
柚葉の顔が一気に明るくなる。
「え!」
「声大きい」
「遥――」
玲奈が慌てて柚葉の口を塞いだ。
「言わないで」
柚葉が何度も頷く。
玲奈が手を離す。
「ごめん」
「絶対分かってましたよね今」
遥斗が不思議そうに二人を見る。
「何の話ですか」
「何でもない」
玲奈がすぐに答える。
柚葉も頷く。
「何でもない」
「怪しい」
「気のせい」
二人が揃って言う。
遥斗は納得していなかったがそれ以上聞かなかった。
ミオはその様子を黙って見ていた。
放課後。
柚葉と玲奈は二人で駅前の店へ寄ることになった。
バレンタインの売り場を見たいらしい。
遥斗は用事があり先に帰り、ミオも一度は帰ろうとした。
けれど。
「ミオも来て」
柚葉に腕を掴まれた。
「嫌です」
「何で」
「興味ないので」
「見るだけ」
「それが一番長いやつです」
玲奈が笑う。
「来てよ。選ぶの手伝って」
ミオは少しだけ玲奈を見る。
その顔はいつもより少し真剣だった。
結局。
「……分かりました」
断れなかった。
店に入るとバレンタインにはまだ少し早いというのに一角にはすでにチョコレートが並び始めていた。
色とりどりの箱。
小さな袋。
手作り用の材料。
柚葉は楽しそうに一つずつ見ていく。
「玲奈は手作り?」
「迷ってる」
「手作りにしようよ」
「何で柚葉が決めるの」
「その方が気持ち伝わりそう」
玲奈は少しだけ黙った。
ミオはその横顔を見る。
気持ちを伝える。
つまり。
玲奈はバレンタインに遥斗へ告白するつもりなのかもしれない。
そのことに気づいた瞬間、胸の奥が少しだけ重くなった。
「ミオはどう思う?」
玲奈に聞かれる。
「何がですか」
「手作りと買うの」
「私は買った方がいいと思います」
「何で?」
「失敗しないので」
柚葉が笑った。
「ミオらしい」
「大事ですよ」
玲奈も少し笑った。
「でも作ってみようかな」
棚に並ぶ材料を見る。
「失敗してもいいから」
その言葉を聞いてミオは少しだけ目を伏せた。
玲奈は強い。
失敗するかもしれなくても進もうとしている。
自分とは違う。
ミオはずっと失うことばかり怖がっていた。
店を出た頃には外が暗くなっていた。
三人で駅へ向かう。
「玲奈」
柚葉が突然言う。
「何?」
「バレンタインに言うの?」
玲奈は少しだけ歩みを遅くした。
ミオも何も言わず聞いている。
「……多分」
玲奈が答える。
「まだ決めてないけど」
「言った方がいいよ」
柚葉は迷いなく言った。
玲奈が少し笑う。
「簡単に言うね」
「だって好きなんでしょ」
「好きだから難しいんだよ」
柚葉は少しだけ黙った。
玲奈は前を向く。
「断られるのも怖いけど、それより今までみたいにいられなくなるのが怖い」
ミオが玲奈を見る。
遥斗と同じだった。
遥斗も。
玲奈も。
好きな相手は違うのに同じことを怖がっている。
今の関係が壊れること。
「でも」
玲奈は小さく息を吐いた。
白い息が夜の中へ消えていく。
「言わないまま終わる方が嫌かも」
その言葉がミオの胸に残った。
柚葉は少しだけ笑う。
「じゃあ応援する」
「簡単に言うなあ」
「本気だよ」
玲奈は柚葉を見る。
そこには本当に何の迷いもなかった。
遥斗が自分を好きだとは夢にも思っていない。
だから玲奈の恋を心から応援できる。
その優しさが今の玲奈には少しだけ痛かった。
「ありがとう」
それでも笑った。
駅で玲奈と別れたあと柚葉とミオは二人になった。
ホームのベンチへ座り電車を待つ。
少しの間、二人とも何も話さなかった。
「玲奈すごいね」
柚葉が言う。
「何がですか」
「ちゃんと好きって言おうとしてる」
ミオは前を見る。
「怖いって言ってましたけどね」
「それでも言うんでしょ」
「多分」
柚葉は少し考える。
「私だったら無理かも」
ミオが横を見る。
「柚葉さんでも?」
「私を何だと思ってるの」
「何でも言う人」
「失礼だなあ」
柚葉は笑った。
でもすぐに少しだけ真面目な顔になる。
「好きって言って関係変わったら嫌じゃん」
ミオは何も言わなかった。
同じだった。
結局。
みんな同じことを怖がっている。
「でも玲奈は言うんですね」
「強いよね」
「そうですね」
電車がホームへ入ってくる。
二人は立ち上がった。
数日後。
放課後の実習室。
ミオは一人で絵を描いていた。
最近また一人で描く時間が増えている。
ただ昔とは違った。
誰かから逃げるためではない。
一人で描きたいから描いている。
紙の上には冬の駅が描かれていた。
人を待つ誰か。
少し離れた場所にはもう一人。
互いに相手を見ているのに。
視線は交わっていない。
「それ誰?」
突然声がしてミオは驚いた。
振り返る。
柚葉だった。
「勝手に見ないでください」
「見えるところで描いてるじゃん」
柚葉は隣へ座る。
「でも好き」
ミオの手が止まった。
「何がですか」
「この絵」
柚葉は紙を見る。
「なんか寂しいけど嫌じゃない」
ミオも自分の絵を見る。
「意味分かりません」
「私も分かんない」
柚葉は笑った。
「でも好き」
また。
その言葉。
春から何度聞いただろう。
柚葉はいつも簡単に好きと言う。
絵にも。
景色にも。
友達にも。
でも。
恋だけは。
まだ知らない。
「柚葉さん」
ミオが呼ぶ。
「ん?」
「好きって何だと思いますか」
柚葉は少し驚いた。
「急だね」
「玲奈さんの話を聞いてたら少し気になっただけです」
「うーん」
柚葉はしばらく考えた。
「会いたくなるとか?」
「友達でもなります」
「その人に一番に話したくなるとか」
「それも友達であります」
「難しいな」
柚葉は笑う。
ミオも少しだけ笑った。
「じゃあミオは?」
「分からないから聞いたんです」
「そっか」
また少し静かになる。
柚葉は窓の外を見る。
「でも」
「はい」
「いなくなったら嫌って思う人は好きなんじゃない?」
ミオの筆が止まった。
「恋愛じゃなくても」
柚葉は続ける。
「その人が自分の毎日にいるのが普通になって、いなくなるの想像したら嫌だなって思うなら大事なんだと思う」
ミオは何も言えなかった。
柚葉。
遥斗。
玲奈。
三人とも。
いなくなったら嫌だ。
でも。
その中で。
一人だけ。
少し違う気がした。
「ミオ?」
「何ですか」
「固まってる」
「考えてました」
「好きな人いる?」
ミオは一瞬だけ柚葉を見る。
「いません」
いつも通り答えた。
でも。
以前より少しだけ。
言葉が遅かった。
帰り道。
二人で駅へ向かった。
柚葉はいつものように話している。
授業のこと。
玲奈のこと。
遥斗のこと。
次の休みにどこへ行くか。
ミオは隣を歩きながら聞いていた。
時々返事をする。
時々笑う。
いつもと何も変わらない。
それなのに。
さっきの言葉だけが頭から離れなかった。
いなくなったら嫌な人。
柚葉がいなくなる。
想像した瞬間。
胸の奥が少しだけ痛んだ。
ミオは隣を見る。
柚葉は前を向いて歩いている。
夕方の光が横顔に当たっている。
何度も見てきたはずの顔。
春からずっと。
それなのに今日は少しだけ違って見えた。
「何?」
柚葉が気づく。
「見てた?」
「見てません」
「絶対見てた」
「気のせいです」
「最近みんなそればっかり」
柚葉が笑う。
ミオも少しだけ笑った。
まだ分からない。
これが何なのか。
友達として大切なだけなのか。
それとも。
別の何かなのか。
ただ一つだけ。
確かなことがあった。
春に出会った頃より。
夏を一緒に過ごした頃より。
秋に四人になった頃より。
柚葉は。
ずっと近くにいる。
近くにいるはずなのに。
その距離を意識した瞬間。
なぜか少しだけ。
遠く感じた。
冬の空から。
小さな雪が一つ落ちてきた。
ミオはそれを見上げながら。
自分でもまだ名前をつけられない気持ちを。
胸の奥へそっとしまった。
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