第3話:一分間の限界飛行
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
<p>「動け……動いてくれ……ッ!」</p><p>ユーリが破裂寸前のバイパスバルブを力任せに押し込むと、足元から「キィィィィン!!」と耳を刺すような高圧蒸気の叫びが上がった。</p><p>コンソールの真鍮メーターは完全に限界(レッドゾーン)を突破し、ガラスカバーにメキメキと亀裂が入っていく。だが、その狂気的な圧力と引き換えに、死にかけていた二基のプロペラが爆音とともに猛回転を始めた。</p>
本文
「動け……動いてくれ……ッ!」
ユーリが破裂寸前のバイパスバルブを力任せに押し込むと、足元から「キィィィィン!!」と耳を刺すような高圧蒸気の叫びが上がった。
コンソールの真鍮メーターは完全に限界(レッドゾーン)を突破し、ガラスカバーにメキメキと亀裂が入っていく。だが、その狂気的な圧力と引き換えに、死にかけていた二基のプロペラが爆音とともに猛回転を始めた。
「よし……あがくぞ!」
ズガガガガッ!
廃港の広場になだれ込んできた黒コートの集団が、一斉に自動小銃を構えて火を噴く。 弾丸がアウラ号の金属フレームを激しく弾き、コクピットの風防を掠めていく。
「頭を下げてろ!」
ユーリは叫びながらスロットルを限界まで倒し込んだ。 アウラ号は車輪から猛烈な摩擦音を立て、崩れかけた木製滑走路を暴れ馬のように突進する。
「速い……! だが、滑走路が足りないぞ!?」
助手席に身をかがめた女が、前方を見つめて目を見開いた。 滑走路の先は、そのまま数百メートルの断崖絶壁――旧ガレリア都市の最下層へ続く暗い谷底だ。
「足りなきゃ跳ぶまでだ!」
滑走路の端まで、あと十メートル。 ユーリは操縦桿を全力で引き絞った。
アウラ号の車輪が木板を蹴り飛ばし、宙へ躍り出る。 一瞬、浮力(フライト)の感触。だが、右翼の破れと過剰な重量のせいで機首が上がりきらない。
「落ちる――!?」
機体は浮き上がるどころか、重力に引かれて絶壁の底へと急降下を始めた。 眼下に迫る、廃ビルと巨大な歯車のゴミ山。
「うおおおおおっ!」
ユーリはパニックにならず、冷徹に機体の挙動を見極めた。 急降下によって得られる「位置エネルギー」を運動速度に変える。機首をあえて下げ、風圧を極限まで溜め込んだ瞬間――フラップを最大角度で固定!
「上がれぇぇぇっ!!」
グググググ……ッ!
強烈なG(重力)がユーリと女の体にのしかかる。 アウラ号の底部が廃ビルの屋上にある錆びた煙突をギリギリで削り取り、火花を散らしながら、一気に上昇へと転じた。
谷底から吹き上げる上昇気流(サーマル)を捉えたのだ。
「……正気かよ」
女が青ざめた顔でユーリを見つめる。
「正気でこんな仕事やってられるか! だが……問題はここからだ!」
ポタ……ポタ……。
ユーリの足元に、高温の冷却水が滴り落ちてきた。 ボイラーを固定しているボルトが、圧力に耐えかねて弾け飛ぶ音が「キン! キン!」と響く。
「あと三十秒でエンジンが吹っ飛ぶ! 飛び降りる準備はできてるか!?」
「待て! 向こうの雲の中に、旧時代の『集塵気球(コレクター)』が見える! あそこに引っかけるんだ!」
女が前方の雲間を指さす。 そこには、かつて鉱山毒を濾過するために放置された、巨大な無人ガス気球の残骸が浮いていた。
「あんなボロ気球に!? 無茶言え!」
「エンジンが爆発して墜落するよりマシだろ! 行け!」
「チクショウ! どいつもこいつも!!」
ユーリは歯を食いしばり、アウラ号の機首を残骸気球へと向けた。
限界を迎えた右エンジンから、ドカンと激しい爆発音が上がり、プロペラが黒煙を上げて停止する。片発飛行になり、機体が激しく傾く。
「合わせろ……合わせろ……!」
ユーリは残った左エンジンのわずかな推進力と、操縦桿の繊細な操作だけで、流れる風に乗せた。
ドスッ……! ガガガガガッ!
アウラ号の固定脚が、残骸気球の巨大なワイヤーフレームに力強く引っかかり、激しい衝撃とともに機体が固定された。
直後――。
**チュドーーーン!!**
アウラ号の右ボイラーが完全に破裂し、炎と蒸気が大空へ吹き出した。 だが、奇跡的に気球のフレームに引っかかった機体は、空中へ墜落することなく、雲の中でゆらゆらと揺れていた。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
静寂が戻ったコクピットで、ユーリは力尽きたように操縦桿から手を離した。 愛艇アウラ号は、右エンジン完全大破、右翼ズタズタ、もはや自力飛行は不可能な「空飛ぶ鉄くず」と化していた。
「……助かった、のか?」
ユーリが力なく呟くと、助手席の女が大きく息を吐き出し、深くシートに背を預けた。
「ふぅ……最高の腕前だな、郵便屋。命拾いした」
「笑えねぇよ……俺の愛艇が廃車決定だ。修理費で破産する……」
ユーリが頭を抱えていると、女は懐から血のついた手袋を脱ぎ、ユーリに右手を差し出してきた。
「私はセシリア。……本当の挨拶が遅れたわね。そして、あなたが持っているその外交嚢(バッグ)の『本来の受取人』よ」
ユーリは目を見開いた。
「なに……? 鉱山都市の外交官に届ける荷物だぞ?」
「それはダミー。本物の差出人は、私の父……そして中身は、あの軍の追手たちが喉から手が出るほど欲しがっている『旧世界の高度維持機関の設計図』よ」
セシリアがそう言った瞬間、ユーリの足元にあった革バッグの留め具が、カチリと音を立てて外れた。
中からこぼれ落ちたのは、書類ではなく――美しく緻密な青い発光パターンを刻んだ、真鍮製の「球体パーツ」だった。
「おいおい……勘弁してくれよ……」
ユーリは天を仰いだ。
「俺はただの郵便屋なんだ……世界の秘密とか、軍の陰謀とか、そういうのに巻き込まれる柄じゃないんだよ……!」
だが、雲の上に孤立した破裂寸前の気球の上で、ユーリの「普通の日常」は完全に終わりを告げていたのだった。
第3話はここまで!
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