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第2話 崩れた線

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/11/1 📚 シリーズ: 星をつむぐ友禅 📝 1,912文字 ✅ 全年齢

あらすじ

月乃(16)は糊置きで線を曲げ、謝り続ける。 佐伯紗江(28)は、失敗布も技法の記録になると教える。 手首が痛んでも隠す月乃は軽傷でも試合へ出された記憶が刺さる。 藤原(71)は「休むのも手順」と止める。糊は急ぐほど割れる。月乃は星形の白抜きを見つける。

本文

 糊の入った筒の先から、白い線が布の上へ細く落ちていく。

 月乃は息を止め、右手の親指と人さし指に力を込めた。下絵の曲線をなぞるはずだった。けれど、ほんの少し手首が揺れた。

 ぷつ、と糊の線が外へふくらむ。

「……あ」

 白い線は、花びらの縁を越えて曲がっていた。

 月乃の肩が跳ねる。すぐに筒を持ち上げたが、遅かった。糊の匂いが鼻に残る。窓の外では、商店街を走る自転車のブレーキが短く鳴った。

「すみません」

 声がかすれた。

「すみません、私、今の……」

 布を見つめるほど、曲がった線だけが大きく見える。胸の奥が冷えて、指先から力が抜けていった。

「ごめんなさい。やり直します。すぐ、直しますから」

 左手で布の端をつかもうとしたとき、手首の奥に鈍い痛みが走った。

 月乃は息をのみ、すぐに口元を引き結んだ。

 これくらいなら大丈夫。

 動かせる。握れる。だったら、休むほどではない。

 そう思った瞬間、体育館の白い照明が目の奥にちらついた。

 冷たい床。湿ったユニフォーム。腫れた手首を押さえた自分に、顧問が眉をひそめる。

『軽いんだろ。試合に出られないほどじゃない』

 周りの部員も黙っていた。月乃がうつむくと、誰かが小さく言った。

『簡単に休む人がいると迷惑』

「月乃さん」

 名前を呼ばれ、月乃ははっと顔を上げた。

 佐伯紗江が、隣の作業台からこちらを見ていた。紗江は立ち上がらず、手元の筆も置かない。ただ、月乃の手首ではなく、曲がった糊の線を見ている。

「その布、少し見せてもらえますか?」

「でも、失敗で……」

「うん。失敗した布ですね」

 月乃の喉が詰まった。

 紗江はやわらかく続けた。

「だから、残せます」

「……残す?」

「糊が多すぎたとき、手が止まったとき、線が曲がったとき。布に残るでしょう。次に同じことで困った人が見たら、どうしたらいいか考える材料になります」

 紗江は自分の机の端に積んだ小さな布を指した。白抜きの線が太いもの、途切れたもの、染料がにじんだもの。どれも、丁寧に日付と短い文字が書かれている。

「これは失敗したから捨てる布じゃないんですか?」

「私は、記録だと思っています」

 月乃は曲がった線へ視線を落とした。

 捨てられるものだと思った。謝って、急いで、なかったことにするものだと思った。

 手首がまた痛んだ。月乃は反射的に袖で隠す。

「大丈夫です」

 誰にも聞かれていないのに、言葉がこぼれた。

 その声に、藤原が作業台の向こうから顔を上げた。

「月乃さん」

 藤原は近づいてきたが、手首には触れなかった。月乃の横に置かれた椅子を、静かに引く。

「座りましょう」

「いえ、続けます。これくらいなら」

「続けるために、休みます」

 月乃の口が止まった。

 藤原は、糊の筒を受け取って机に置く。乾いた木の台に、こつん、と小さな音がした。

「休むのも手順です」

「……手順」

「ええ。糊は急ぐほど割れます。手も、気持ちも同じです」

 月乃は首を振った。

「でも、止まったら迷惑をかけます」

「今、無理をして布を傷めるほうが、あとで困ります」

 責める声ではなかった。けれど、逃げ道をふさぐ声でもない。

「痛いなら、痛いと伝える。座って呼吸を整える。様子を見てから続けるか決める。それも作業のうちです」

 月乃は椅子を見たまま動けなかった。

 座っていい、と言われても、座ることが怖い。休んだら、怠けていると叱られる。次の言葉が飛んでくる気がして、背中が固くなる。

 藤原は何も急かさず、湯のみをひとつ机に置いた。湯気が、薄く眼鏡の前を流れる。

「温かいうちに、少しどうぞ」

 月乃は恐る恐る椅子に腰を下ろした。

 手首を膝の上に置く。触れないようにしていた痛みが、じわじわと輪郭を持った。悔しさまで一緒に上がってきて、目の奥が熱くなる。

「……すみません」

「謝るのは、いったん置いておきましょう」

 紗江が、月乃の失敗布をそっと持ち上げた。

「ほら。ここ、曲がった線が重なってますよね」

 月乃は頬をぬぐうこともできず、うなずいた。

「この重なり、面白いです」

「面白い……?」

「ええ。染めたら、ここだけ白が少し残るかもしれません」

 紗江の指先が、曲線のそばを空中でなぞる。

「花びらじゃなくて、別の形に見えてきませんか?」

 月乃は布へ顔を近づけた。

 曲がった線と、細く途切れた糊。その間に残った白が、夜空に浮かぶ小さな形に見えた。

「……星」

「私もそう思いました」

 月乃の唇が、かすかに開く。

 星形の白抜きは、失敗の真ん中にあった。

 指先の痛みはまだ消えない。それでも、白い星は布の上で、ちゃんとそこに残っていた。

 月乃は湯のみを両手で包み、少しだけ息を吐いた。

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作者について

津組セナ

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