第3話 14人の名簿の表紙画像

第3話 14人の名簿

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/11/1 📚 シリーズ: 星をつむぐ友禅 📝 2,243文字 ✅ 全年齢

あらすじ

月例会で、登録14人の保存会は高齢化と人手不足に揺れていた。 会計の坂井洋子(63)は、展示会の搬入すら危ういと語る。 「若い人は続かない」と聞き、月乃は部活で一括りにされた苦しさを思い出す。 月乃は年齢でなく事情を聞く側に回る。図案帳には描き手の癖が残るという話がある。

本文

 月例会の夜、長机の上には湯のみと菓子皿、それから角の擦れた出席簿が並んでいた。

 藤原が眼鏡を外し、出席簿をゆっくり閉じる。紙の乾いた音が、作業場の奥まで響いた。

「登録は14人です」

 誰もすぐには返事をしなかった。

 月乃は膝の上で指を組み、出席簿の表紙を見つめた。14人。思っていたより少ない。部屋には藤原、紗江、坂井洋子、そのほか数人が座っている。空いた椅子が、壁際にきちんと寄せられていた。

 坂井が会計帳を開いた。細い指で、数字の横をなぞる。

「展示会の搬入なんだけどね」

 声音は穏やかなのに、月乃の肩が小さくすくんだ。

「今年は車を出せる人が減っているの。反物も額も、軽いものじゃないでしょう。搬入口から会場まで運ぶ人手が、ちょっと心配で」

 ページをめくる音。

「私も前ほど何往復もできないし、清志さんにばかり頼るわけにもいかない。紗江さんは仕事がある。展示の前日は、皆さんそれぞれ都合もありますから」

 藤原が小さくうなずいた。

「無理を前提にしてはいけませんな」

 その言葉に、月乃は顔を上げた。

 無理を前提にしない。

 それだけの言葉なのに、胸の奥がざわつく。中学の部室の、湿った床の匂いがよみがえった。人数が足りないから。大会が近いから。皆も頑張っているから。

 休みたい、と言った自分に向けられた、ため息。

 坂井が会計帳を閉じ、困ったように笑った。

「若い人は、なかなか続かないものね」

 月乃の指先が固まった。

 若い人。

 その言葉の中へ、部員たちの顔が一度に押し込まれてくる。遅刻した人。黙る人。泣いた人。痛いと言った人。みんな同じように、やる気がない、根性がない、と呼ばれていた。

 月乃は唇を噛んだ。

 坂井が悪気なく言ったことは分かる。保存会のことを心配しているのも、展示会を守ろうとしているのも分かる。

 それでも、喉の奥がつかえたままだった。

「……続かない、って」

 自分の声に、月乃がいちばん驚いた。

 皆の視線が、静かに集まる。

 月乃は椅子の縁を握った。手のひらが汗ばんでいる。

「若いから、っていうより……その人に、続けられない事情があることも、あると思います」

 言い終えた途端、言いすぎた気がして肩が縮んだ。

「すみません。私、偉そうに」

「謝らなくてよいですよ」

 藤原の声が、月乃の言葉を急かさずに受け止めた。

 坂井も、少し目を丸くしていた。けれど眉をひそめることはしなかった。

「事情、ねえ」

 坂井は湯のみを両手で持ち、湯気の向こうで目を細めた。

「たしかに、そうね。仕事が忙しい人もいるし、家のことを抱えている人もいる。体が思うようにならない人も」

「来られなくなった人が、保存会を嫌いになったとは限りません」

 月乃は机の上を見たまま続けた。

「来たいのに来られないことも……あるかもしれないです」

 胸の奥に残っていた言葉が、少しずつ外へ出ていく。

「だから、年齢とか、続いたか続かないかだけじゃなくて。どうして来られないのか、聞いてから……考えたいです」

 しん、と部屋が静まった。

 外を通る車の音が、窓ガラスをかすかに震わせる。月乃は顔を上げられなかった。反対されるなら、それでもいいと思った。言わないまま頷くよりは、ずっとましだった。

「月乃さん」

 紗江が、そばに置いていた図案帳を引き寄せた。

 表紙の布は色あせ、角が丸くなっている。紗江は丁寧にページを開いた。

「これ、見ますか?」

 月乃はうなずいた。

 梅、流水、蝶、細かな麻の葉。ページごとに違う図案が、鉛筆や墨で残されている。同じ花を描いているのに、線は少しずつ違った。まっすぐ伸びる茎。ふくらんだ花びら。端に小さく描かれた葉。

「描いた人の癖が残るんです」

 紗江の指が、一枚の図案の端をそっと押さえる。

「この人は、つい葉先を長くする。こっちの人は、丸を少しつぶして描く。急いでいた日も、元気だった日も、線を見るとなんとなく分かることがあります」

 月乃は息をひそめた。

「分かるんですか?」

「全部は分かりません。でも、残った線を見て、想像はできます」

 坂井が図案帳をのぞき込む。

「この朝顔は、うちの姉が描いたのよ。几帳面だったから、下書きの線を絶対に消さなくてね」

 そう言う坂井の口元が、少しだけほどけた。

「私は雑だから、いつも怒られたわ」

「洋子さんの図案も、ちゃんと分かりますよ」

 紗江が笑う。

「余白がきれいです」

 坂井は照れたように顔をそむけた。

「そんなところまで見てるの」

 月乃は図案帳のページを見つめた。

 線の中には、年齢だけではないものが残る。器用かどうか、続いたかどうか、それだけではない。描いた人の手の迷いも、急いだ日も、きっと残る。

 月乃は、ページの端にある少し震えた線を見つけた。

 その線が、急に遠い誰かの失敗には見えなくなった。

「……来られない人にも」

 月乃は小さく言った。

「連絡して、聞いてみてもいいですか。搬入を頼むためじゃなくて」

 坂井が、ゆっくり月乃を見る。

「元気かどうか、とか」

 月乃はうなずいた。

「できることがあるなら、本人に選んでもらって」

 藤原が、出席簿の上に手を置いた。

「それがよいでしょうな」

 月乃の胸の奥で、固かったものが少しだけゆるんだ。

 図案帳の紙から、古い墨と布の匂いがした。

 月乃はもう一度、震えた線を見た。

 誰かをひとまとめにしないように。

 その人の線を、ちゃんと見られるように。

 月乃は図案帳のページを、そっとめくった。

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作者について

津組セナ

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