第3話 14人の名簿
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
月例会で、登録14人の保存会は高齢化と人手不足に揺れていた。 会計の坂井洋子(63)は、展示会の搬入すら危ういと語る。 「若い人は続かない」と聞き、月乃は部活で一括りにされた苦しさを思い出す。 月乃は年齢でなく事情を聞く側に回る。図案帳には描き手の癖が残るという話がある。
本文
月例会の夜、長机の上には湯のみと菓子皿、それから角の擦れた出席簿が並んでいた。
藤原が眼鏡を外し、出席簿をゆっくり閉じる。紙の乾いた音が、作業場の奥まで響いた。
「登録は14人です」
誰もすぐには返事をしなかった。
月乃は膝の上で指を組み、出席簿の表紙を見つめた。14人。思っていたより少ない。部屋には藤原、紗江、坂井洋子、そのほか数人が座っている。空いた椅子が、壁際にきちんと寄せられていた。
坂井が会計帳を開いた。細い指で、数字の横をなぞる。
「展示会の搬入なんだけどね」
声音は穏やかなのに、月乃の肩が小さくすくんだ。
「今年は車を出せる人が減っているの。反物も額も、軽いものじゃないでしょう。搬入口から会場まで運ぶ人手が、ちょっと心配で」
ページをめくる音。
「私も前ほど何往復もできないし、清志さんにばかり頼るわけにもいかない。紗江さんは仕事がある。展示の前日は、皆さんそれぞれ都合もありますから」
藤原が小さくうなずいた。
「無理を前提にしてはいけませんな」
その言葉に、月乃は顔を上げた。
無理を前提にしない。
それだけの言葉なのに、胸の奥がざわつく。中学の部室の、湿った床の匂いがよみがえった。人数が足りないから。大会が近いから。皆も頑張っているから。
休みたい、と言った自分に向けられた、ため息。
坂井が会計帳を閉じ、困ったように笑った。
「若い人は、なかなか続かないものね」
月乃の指先が固まった。
若い人。
その言葉の中へ、部員たちの顔が一度に押し込まれてくる。遅刻した人。黙る人。泣いた人。痛いと言った人。みんな同じように、やる気がない、根性がない、と呼ばれていた。
月乃は唇を噛んだ。
坂井が悪気なく言ったことは分かる。保存会のことを心配しているのも、展示会を守ろうとしているのも分かる。
それでも、喉の奥がつかえたままだった。
「……続かない、って」
自分の声に、月乃がいちばん驚いた。
皆の視線が、静かに集まる。
月乃は椅子の縁を握った。手のひらが汗ばんでいる。
「若いから、っていうより……その人に、続けられない事情があることも、あると思います」
言い終えた途端、言いすぎた気がして肩が縮んだ。
「すみません。私、偉そうに」
「謝らなくてよいですよ」
藤原の声が、月乃の言葉を急かさずに受け止めた。
坂井も、少し目を丸くしていた。けれど眉をひそめることはしなかった。
「事情、ねえ」
坂井は湯のみを両手で持ち、湯気の向こうで目を細めた。
「たしかに、そうね。仕事が忙しい人もいるし、家のことを抱えている人もいる。体が思うようにならない人も」
「来られなくなった人が、保存会を嫌いになったとは限りません」
月乃は机の上を見たまま続けた。
「来たいのに来られないことも……あるかもしれないです」
胸の奥に残っていた言葉が、少しずつ外へ出ていく。
「だから、年齢とか、続いたか続かないかだけじゃなくて。どうして来られないのか、聞いてから……考えたいです」
しん、と部屋が静まった。
外を通る車の音が、窓ガラスをかすかに震わせる。月乃は顔を上げられなかった。反対されるなら、それでもいいと思った。言わないまま頷くよりは、ずっとましだった。
「月乃さん」
紗江が、そばに置いていた図案帳を引き寄せた。
表紙の布は色あせ、角が丸くなっている。紗江は丁寧にページを開いた。
「これ、見ますか?」
月乃はうなずいた。
梅、流水、蝶、細かな麻の葉。ページごとに違う図案が、鉛筆や墨で残されている。同じ花を描いているのに、線は少しずつ違った。まっすぐ伸びる茎。ふくらんだ花びら。端に小さく描かれた葉。
「描いた人の癖が残るんです」
紗江の指が、一枚の図案の端をそっと押さえる。
「この人は、つい葉先を長くする。こっちの人は、丸を少しつぶして描く。急いでいた日も、元気だった日も、線を見るとなんとなく分かることがあります」
月乃は息をひそめた。
「分かるんですか?」
「全部は分かりません。でも、残った線を見て、想像はできます」
坂井が図案帳をのぞき込む。
「この朝顔は、うちの姉が描いたのよ。几帳面だったから、下書きの線を絶対に消さなくてね」
そう言う坂井の口元が、少しだけほどけた。
「私は雑だから、いつも怒られたわ」
「洋子さんの図案も、ちゃんと分かりますよ」
紗江が笑う。
「余白がきれいです」
坂井は照れたように顔をそむけた。
「そんなところまで見てるの」
月乃は図案帳のページを見つめた。
線の中には、年齢だけではないものが残る。器用かどうか、続いたかどうか、それだけではない。描いた人の手の迷いも、急いだ日も、きっと残る。
月乃は、ページの端にある少し震えた線を見つけた。
その線が、急に遠い誰かの失敗には見えなくなった。
「……来られない人にも」
月乃は小さく言った。
「連絡して、聞いてみてもいいですか。搬入を頼むためじゃなくて」
坂井が、ゆっくり月乃を見る。
「元気かどうか、とか」
月乃はうなずいた。
「できることがあるなら、本人に選んでもらって」
藤原が、出席簿の上に手を置いた。
「それがよいでしょうな」
月乃の胸の奥で、固かったものが少しだけゆるんだ。
図案帳の紙から、古い墨と布の匂いがした。
月乃はもう一度、震えた線を見た。
誰かをひとまとめにしないように。
その人の線を、ちゃんと見られるように。
月乃は図案帳のページを、そっとめくった。