第5話 12個の約束
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
展示会は会場費と当番不足から、規模縮小を迫られる。 月乃(16)は端布で星座柄ポーチを試作し、来場者の入口にしたいと提案する。 「私が全部やります」と言いかけ、無理を強いられた日々がよみがえる。 紗江(28)は原価、縫製、表示の必要を示し、12個だけ作る計画に変える。端布ほど最後に役立つ。
本文
展示会の案内状が、長机の真ん中に置かれていた。
月乃は、その横に並ぶ会計帳と出席表を見比べた。いつもより椅子が少ない。窓際の席には誰も座っておらず、夜の冷気だけが薄く残っている。
「会場費が、上がるそうです」
坂井が、電卓の表示を指で押さえた。
「今までと同じ広さでは難しいわね。当番も、午前と午後を通して立てる人が足りないの」
紙をめくる音が、やけに大きく聞こえた。
「規模を縮めるしかないでしょうな」
藤原の声は落ち着いていた。けれど、眼鏡の奥の目は、案内状から離れなかった。
月乃は膝の上で手を重ねた。展示会の日、壁に掛けられた反物を見上げる人の背中を思い出す。染めの話をする人。図案の前で立ち止まる人。あの場所が少し狭くなることを、ただ仕方ないと思いたくなかった。
鞄の中で、布がかすかに擦れた。
「……あの」
声を出すと、皆が月乃を見た。
月乃は鞄から、小さな布包みを取り出した。端をほどくと、掌ほどのポーチが現れる。深い青の上に、白抜きの星が細く散っていた。縫い目はまだ少し不揃いで、角も硬い。
「端布で、試作しました」
紗江が身を乗り出す。
「星座柄のポーチ?」
「はい。展示の入口に置けたらって」
月乃はポーチを両手で持った。布の表面を撫でると、乾いた染めの感触が指先に残る。
「着物や反物を、すぐに買うのは難しい人もいると思うんです。でも、これなら……友禅を知らない人も、手に取ってくれるかもしれないです」
言いながら、月乃は入口の光景を思い浮かべた。展示を見る前に、小さな星を見つける人。鞄に入れて帰る人。友禅が遠いものではないと、少しだけ思える人。
「来場者の、入口になるかもしれません」
能勢が、ポーチを静かに見つめた。
「端布を使うのね」
「はい。捨てずに残していた布です」
月乃はうなずいた。
「私が全部やります。糊置きも、染めも、縫うところも。展示までに間に合わせますから」
そこまで言って、喉が止まった。
全部やる。
その言葉が、急に冷たく胸に落ちた。
体育館の床。笛の音。痛む足をかばった自分の前で、誰かが腕を組んでいる。
『人数が足りないんだから、やるしかない』
『皆に迷惑をかけるな』
できると言ったら、やらされる。
できないと言ったら、責められる。
月乃の指がポーチの端を強くつまんだ。息を吸ったのに、胸の奥が苦しい。
「……私」
続きが出ない。
紗江が、月乃の前にあるポーチへ視線を落とした。
「月乃さん。全部、というのは何個ですか?」
責める調子ではなかった。
「え……」
「材料費は?。縫製は誰がするの?。値札や素材の表示は?。染めた布を乾かす時間は?。売るなら、袋は必要ですか?」
ひとつずつ置かれる問いに、月乃は目を瞬いた。
考えていなかった。
作ることだけ見ていた。間に合わせることだけ見ていた。
「すみません。そこまで……」
「謝らなくていいです」
紗江は、月乃の言葉をやわらかく止めた。
「思いつきを形にするなら、形にするための手順を一緒に見ましょう」
会計帳を閉じていた坂井が、電卓を月乃のほうへ少し寄せた。
「端布なら布代は抑えられる。でも、糸もファスナーも、袋も要るわね」
能勢がポーチの縫い目をそっと指先でなぞった。
「縫製は、友禅とは別の手仕事です。急げば、布を傷めます」
月乃は小さくうなずいた。耳の奥ではまだ、早くやれという声が残っている。それでも今は、誰も月乃を急かしていなかった。
「まず、12個ではどうでしょう」
紗江が言った。
「十二個?」
「星座柄なら、12の数にも意味があります。試作として作れる数ですし、売れ方や反応も見られます」
藤原が、ポーチの青を眺めた。
「12なら、役割も分けられますな」
「月乃さんは図案と糊置き。染めは見ながら一緒に。縫製は、できる人を探す。表示は私がたたき台を作ります」
紗江の言葉に、月乃の肩が少し下がった。
「私だけで、やらなくていいんですか?」
言ったあとで、幼いことを聞いた気がした。
けれど紗江は、すぐに笑わなかった。真っすぐ月乃を見た。
「一人で抱えないために、会があります」
月乃の目の奥が熱くなった。
能勢は、机の脇に置かれた端布の箱を見た。小さな切れ端が、色ごとに重ねられている。藍、朱、薄い黄、染めむらの残る白。
「端布はね」
能勢が、ゆっくり口を開いた。
「最後に役立つのです。大きな布を裁ったあと、残ったものにも、まだ仕事がある」
月乃は箱の中を見た。
小さいから、足りないから、捨てられるのだと思っていた布がある。
けれど、そこには青い夜空になれそうな布も、星の白を引き立てそうな布もあった。
月乃は試作のポーチを机に置いた。
「12個、作りたいです」
今度は、急がずに言えた。
「手順を、教えてください」
紗江がうなずく。
「まずは原価表からですね」
坂井が電卓の向きを整え、藤原が端布の箱を月乃の前へ引き寄せた。
布が擦れる小さな音の中で、月乃は青い切れ端を一枚、そっと選んだ。