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第五話「納められない御守」

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/11/3 📚 シリーズ: 狐面の絵馬に願いを込めて 📝 1,647文字 ✅ 全年齢

あらすじ

返納所を任された貴乃は、亡夫の御守を手放せない佐伯文(68)に出会う。「納めたら忘れる気がする」と言う文に、決まりだけを告げようとした貴乃は、「ここで辞めたら将来逃げ癖がつく」と叱られた記憶に息を詰める。貴乃は、持ち帰ることも感謝して納めることも選べると伝えた。古札は夜に神様へ帰るという言い伝え。笑った文は、狐面の絵馬の主を知っていると言う。

本文

返納所の白い箱には、古い紙と布の匂いがあった。

雨に濡れた鞄の底で乾いたような御守。角の丸くなった札。何度も撫でられたらしい紐。貴乃は箱の脇に座り、差し出されるものを両手で受け取っていた。

「こちらへ、お納めください」

祭礼の提灯が揺れるたび、箱の中の金糸がかすかに光る。

人の波が途切れたころ、一人の女性が返納所の前で足を止めた。

灰色の髪を耳へかけ、薄いコートの胸元を押さえている。佐伯文は、何かを探るようにポーチの口へ指を入れた。

出てきた御守は、淡い紫だった。

布地は擦れ、房は少しほどけている。それでも文の手は、壊れ物を包むようにやさしかった。

「古いものでも、大丈夫ですか?」

「はい。お預かりできます」

貴乃は返納箱へ手を添えた。

お札や御守は、一年を目安に神社へ納める。役目を終えたものは、感謝して返す。覚えた通りの言葉が、口の中に並ぶ。

「納めたら」

文の指が、紫の御守をきゅっと握り直した。

「忘れる気がするの」

貴乃の唇が止まった。

文は御守を見たまま、小さく笑おうとした。けれど、目尻には細かな震えが残っている。

「夫がくれたんです。病院へ行く日にね。これを持っていれば大丈夫だって」

提灯の灯が、擦れた布を橙色に染めた。

「決まりでは、古い御守は……」

言いかけた瞬間、喉の奥がひどく狭くなった。

『ここで辞めたら、将来逃げ癖がつく』

濡れた土の匂いが鼻を刺す。

足首の痛みを隠したまま立った校庭。笛の音。顔をしかめると、もっと大きな声で返事をしろと言われた。

『嫌なことから逃げて、何が続けられるの?』

貴乃は膝の上で手を重ねた。指先が冷えている。

返納箱の中には、たくさんの御守が静かに積み重なっていた。誰かの無事を願った手。誰かを待った夜。もう会えない人の名前。

「……今日は」

息を吸う。

「持ち帰っても、いいと思います」

文がゆっくり顔を上げた。

「え?」

「納めるなら、ありがとうって思って納めてもいいです。でも、まだ一緒にいたいなら……今日、決めなくても」

声は少し掠れた。

それでも貴乃は、文の目から目をそらさなかった。

「持っていることが、悪いわけではないと思います」

文の指から、わずかに力が抜けた。

「選んでいいのね」

「はい」

「納めなきゃいけないって、決めて来たの。ずっと持っていたら、前へ進めないような気がして」

貴乃は首を横に振った。

「前へ進むことと、忘れることは……同じじゃないと思います」

言ってから、胸の奥が小さく揺れた。

文はしばらく御守を眺め、そっとポーチへ戻した。ファスナーを閉じる音が、夜の冷えた空気に短く響く。

「今日は連れて帰るわ」

「はい」

「もう少し、夫に話してからにする」

文の笑みは、今度はちゃんと目元まで届いていた。

境内の奥で、古札を納める箱の蓋が風に鳴った。

古札は夜になると、神様のもとへ帰る。

燃える火の向こうへ、願いも役目も帰っていくのだと澄江は言っていた。

けれど、帰す日まで急がなくてもいいのかもしれない。

「あのね」

文がポーチを胸元で押さえたまま、少し身を乗り出す。

「御守って、何が違うのかしら。健康とか、交通安全とか。やっぱり、お願いごとで選ぶもの?」

「そういう方も多いです」

貴乃は棚の御守へ目を向けた。

「でも、色や絵柄が好きで選ぶ方もいます。持っていて、少し安心できるものを選ばれる方も」

「好きで選んでもいいのね」

「はい」

文は紫の御守が入ったポーチを撫でた。

「それなら、この人は紫が好きだったのかもしれないわ。似合うって言ったら、照れて怒るでしょうけど」

「きっと、似合います」

貴乃が言うと、文は声を立てずに笑った。

ふと、その視線が返納所の脇に揺れる絵馬へ向かう。

風が通り抜け、木札がからり、と触れ合った。

夕暮れの色に沈む一枚。赤い狐面の印。

文の笑みが、ふっと消えた。

「あら」

貴乃も絵馬を見た。

「その狐面の絵馬」

文は細めた目で、古い木札を見つめている。

「知っているんですか?」

「ええ」

文はポーチを握り直した。

「あれを書いた子を、私は知っているわ」

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作者について

津組セナ

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