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第六話「狐面の願い」

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/11/3 📚 シリーズ: 狐面の絵馬に願いを込めて 📝 1,361文字 ✅ 全年齢

あらすじ

狐面の印の絵馬を書いたのは、若い頃の澄江だった。人手が消えていく怖さから、澄江は「必要なら我慢して」と若者を引き留めてきたという。文化祭で神社の仕事をからかわれた貴乃は、その言葉に中学の顧問を重ね、辞めるつもりで社務所へ向かう。朔也は、頼むことと強いることは別だと静かに告げた。狐面は本音を隠せないという言い伝えのなか、祭礼は雨予報となる。

本文

返納所の脇で、絵馬が風にからりと鳴った。

佐伯文は、狐面の印がある一枚を見つめたまま、ゆっくり息を吐いた。

「書いたのは、澄江さんよ」

「澄江さんが?」

貴乃の声に、文はうなずく。

「ずっと昔。若かったころの澄江さんは、ここを手伝う人が減っていくのが、怖くてたまらなかったんですって」

夕方の光が、絵馬の木目を薄くなぞる。

「必要なら我慢して、って。若い子に言って、引き留めてきたのよ」

貴乃の指が、返納箱の白い縁を握った。

必要なら。

我慢して。

胸の奥で、濡れた校庭の笛が鳴る。

『みんな嫌でもやってるの。あなただけ休むなんて、そんなの無理だから』

『嫌でも行きなさい。部活は遊びじゃないんだから』

息が浅くなった。

文化祭の準備室は、絵の具と段ボールの匂いでむっとしていた。

貴乃が看板用の紙を運んでいると、後ろから笑いを含んだ声が飛んだ。

「また神社? 月城って、部活にも入ってないのに忙しそう」

「巫女さんごっこ、そんなに楽しいの?」

腕の中の紙が、かさりと鳴った。

貴乃は振り返れなかった。

「……仕事だから」

やっと出た声は、紙より軽かった。

「へえ。頼まれたら断れないタイプ?」

笑い声が、背中に刺さる。

貴乃は紙の端を押さえ直した。爪が食い込み、白かった指先がじんと痛む。

放課後、榊森神社への坂道を上りながら、何度も足が止まりそうになった。

辞めよう。

社務所の戸を開けて、もう来られませんと言うだけだ。

雨の匂いを含んだ風が、頬を撫でた。

社務所には朔也がいた。帳面を閉じる音が、静かに響く。

「月城さん」

貴乃は入口で立ち尽くした。

「……私」

喉が詰まる。

「ここも、人が足りないなら。私が、我慢して……」

最後まで言えなかった。

朔也は椅子から立ち上がるでもなく、貴乃をまっすぐ見た。

「頼むことと、強いることは別です」

貴乃の睫毛が震える。

「必要なら、断れないんじゃないですか?」

「断れます」

迷いのない声だった。

「頼まれた側に、選ぶ余地があるなら。それは頼みごとです」

雨雲の影が、畳の上をゆっくり横切る。

「ここにいることを、我慢で決めないでください」

貴乃は唇を噛んだ。

泣くほどのことではない、と言い聞かせても、目の奥が熱くなる。

「……辞めたいって、言っても」

「聞きます」

「休みたいって、言っても」

「聞きます」

朔也は帳面の端を整えた。

「その上で、月城さんがどうしたいかを決めてください」

貴乃は俯いたまま、制服の袖を握った。

社務所の奥では、湊が祭具の札を並べ替えていた。

「今年も、場所が違うんですね」

貴乃が尋ねると、湊は木箱から顔を上げた。

「毎年、少しずつ変えるらしいです」

「どうして?」

「知ってる人しかできない場所にすると、その人がいなくなったとき困るからです」

鈴の紐、提灯の箱、神楽鈴を置く棚。

湊は一つずつ札を確かめながら言った。

「誰か一人が、ずっと無理して残らなくていいように」

貴乃の胸に、その言葉がゆっくり沈んだ。

夕暮れの絵馬掛けで、狐面の印が揺れている。

狐面は、本音を隠せない。

そんな言い伝えを思い出し、貴乃は小さく息を吐いた。

「……私は」

声が途切れる。

けれど、隠したままにするよりは、少しだけ楽だった。

そのとき、社務所の外で澄江の声がした。

「朔也さん、天気予報。祭礼の日は雨ですって」

窓の向こうで、低い雲が杉の梢へ重なっていった。

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作者について

津組セナ

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